【短期集中連載】創価学会「元支部長」オグラ、 公明支援やめるってよ -25- ~映画「れいわ一揆」を見て「れいわ新選組」を再認識しつつ、公明・石井幹事長の抗議をつくづく情けなく思う~

原一男監督の映画「れいわ一揆」をアマプラで見た。

「れいわ新選組」っていままでなんとなくイロモノかなって思ってたけど、いやいや、なかなかどうして…。

できれば公明党、創価学会の方々にぜひ見ていただきたい。
僕が言いたいことが全部詰まっているといっても過言ではない。
2019年の参院選が舞台で、れいわから立候補した東大教授の安冨歩さんが主人公なんだけど、いかにいまの日本が行き詰まっているかを語る。ものすごい共感できるのですよ。安冨さんは「記号」って言葉をよく使う。この国は記号とか立場ばっかりになってしまったと。

問題意識が僕とぴったり一致するんだよね。
公明党はそれなりによく頑張ってると思うけど、なんというか与党慣れしちゃって驚きがない、感激がない、発見がない。創価学会公明党の選挙運動もあまりにもシステマチックになってしまって、ルーチン化し、手作り感がカケラもない。選挙の勝利こそが目的なので、そんなモノは必要ない、というのもひとつの考えだと思うんだけど、ここでも何度も言ってるとおり、いままでの公明党の選挙運動、創価学会の活動家が友人知人に熱く語って票を増やすというやり方は限界に来てると思うんだよね。

だって2019年の参院選、比例の得票、公明党が650万でれいわは200万よ。公明党は一般市民に嫌われすぎ。嫌われすぎが言いすぎだとしたら、最初から投票先としては眼中にないのよ。それがどうしてなのか、みんな虚心坦懐に考えるべきだと思う。公明党の候補も、支持者の方々も、一般市民の方々の心に届く言葉を持ってないんじゃないかって気がすごくする。

与党で妥協やバーターを重ねながら自分たちの通したい法案、自分たちの実現させたい政策だけをやれればいいのか。もっと国の仕組みを根っこから変えようとは思わないのか。つまり恥ずかしいとか思わずに、もっと高らかに「理想の社会」「理想の国家像」「理想の政治」っていうのを高らかに叫んで大きな声で呼びかけるべきじゃないのか。

昔の公明党は、そうだったんじゃないかなって気がする。素人丸出しで。でもだんだん手慣れてきちゃった。候補者がエリートばっかりなのも関係あるんじゃないのかなあ。弁護士、公認会計士、高級官僚…。まあ肩書きで有権者をビビらせることはできて、潰しもきく?んだろうけど、だからってその人たちが庶民の暮らしを守る大情熱を持ってるかどうかは、わからんもんな。

そういえば、ちょっと危なっかしくて大丈夫かなと思ってた野原さんは、山本太郎の独裁に嫌気がさして離党しちゃったんだってね。いまごろどうしてるんだろう…

僕は野原さんみたいに公明党をボロクソに批判したりはしないけど、でも、れいわとか山本太郎に民衆が共感してるってことを公明党創価学会の方々は、もっと真摯に学ぶべきじゃないかな。少し言い過ぎかもしれないけど、公明党が目指してたことをいま、れいわや山本太郎が実現しようとしてるんじゃないかって気がする。だから公明党は自民との連立を解消したら、れいわと手を組んで、閉塞しきった日本の国の政治と経済と社会を根本から立て直していきましょう。創価学会員がれいわの公認候補になって、創価学会がれいわを応援するというのもあっていいと思う。

いつまでも同じことをしていてもつまらないし、みんな飽きる。まああたしは人の何十倍も飽きっぽいほうで、よく周りに迷惑をかけるのだが。デジカメ雑誌の編集者時代も、超人気連載を、もういいだろ、っておわらせて大顰蹙を買ったことが。笑

タイミングよく?こんなニュースが流れてきたけど、公明党幹事長の石井啓一、たぶん「れいわ」の存在にかなり怯えている。なぜか。公明党が結党以来掲げてきた「平和と福祉の党」の看板を、すっかり「れいわ」に奪われてしまっているから。だからってこんな口先だけの批判をしても、なんの意味もない。大切なのは、公明党が自民党に恫喝されてずっと続けている連立政権からきっぱり離脱して、公明党の本来の姿に戻ること。創立者の池田先生が叫ばれた「平和と福祉の党」に立ち返ること。そのためには、創価学会の現場のメンバーが声を上げるしかない。漫然と“公明党支援は功徳がある”、“いろいろ不満はあっても愚痴は言わず、上の幹部の言うことを黙って聞いていればいい”みたいな奴隷根性を、いますぐ捨て去ること。大聖人は繰り返しおっしゃっている。仏法は道理で、道理というのは主に勝つものなのだ、と。自分のアタマをふつうに使って、公明党の行き方が間違っていると思ったならば、躊躇せずに創価学会の幹部に疑問を投げかけるべし。そして幹部がまっとうな答えを返してくれないのならば、納得いくまで問いを止めてはならない。もしかしたら、いままでどおり漫然と公明党支援を続けるということはけっして「正義」ではなく、あなた方が最も忌み嫌う「不正義」「悪」に加担することになっていないとも限らない。自分の弱い心に従うんじゃなく、自分の強い心、いままで学んできた正しい仏法の法理に則って行動を決めるべし。

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