どこかのWebでたまたま、自民党の野中広務が、公明党を自公連立に引きずり込んだ手口を聞かれて答えた「叩くだけ叩いたら、向こうのほうからすり寄ってきたんや」というふざけきった言葉を目にした。これがどこに書かれているか調べたら、魚住昭著『野中広務 差別と権力』という本であることがわかった。さっそく買って読んでみた。第13章の終わりくらいから第14章、第15章あたりに、野中が創価学会公明党を連立政権に引きずり込んでいった手口が余すことなく書かれている。
以下は、魚住昭著『野中広務 差別と権力』から抜粋引用。
最初は公明党の常任顧問だった藤井富雄が山口組系の武闘派組長、後藤忠政と密会しているビデオから。藤井は創価学会名誉会長の池田大作先生の側近と言われる東京都議。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表を務めていた。
そのビデオの中で藤井が、当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香など4人の名前を挙げ、「この人たちはためにならない」という意味のことを言ったという。受け取りようによっては後藤組長に4人への襲撃を依頼したようにもとれる。
亀井とともに反学会の急先鋒だった野中がこのビデオの存在を嗅ぎつけ、学会攻撃に使ったという。
野中は細川政権時代の93年秋、国会で共産党議長・宮本顕治宅の盗聴事件(70年)を取り上げ「通信を所管する現職大臣が関与していたのではないか」と郵政相の神崎武法(公明党)を追及。さらに「公明党は選挙のたびに全国の学会施設や電話をただで使っているのではないか」と具体的な証拠を挙げながら公明党と学会の「政教一致」を突いた。95年秋の国会で創価学会に関わる宗教法人法改正が行われたのも、もとはといえば自治相・国家公安委員長の野中が「オウム事件の捜査が宗教法人の壁に阻まれた。法改正の必要があると言い出したためだった。
藤井が後藤組長と親しくなったのは創価学会の「富士桜自然墓地公園」建設を巡り、反対運動を押さえつけることを依頼したからだという。その後、80年代になって協力の報酬をめぐるトラブルから、後藤と学会の関係はこじれ始めた。学会は右翼・暴力団の街宣車に悩まされ、それを抑えるために藤井は後藤組長と会い、学会の裏の仕事を引き受けるようになった、という。
野中は学会の関西長・西口良三とも会い、京都市長選の支援を依頼。西口がなぜ反学会の急先鋒だった野中に助け船を出したのか。理由はただひとつ。野中に対する恐怖心があったからと情報筋は語る。
会談の背景には当時の学会が新進党内の旧公明党議員たちに抱いていた不信感もあったという。なかでも小沢一郎と「一・一ライン」で一時代を築いた市川雄一に対する反感は大きかったという。
なぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。元学会幹部の情報通が言うには、池田先生と海外要人などとの会見場面を撮った写真がたびたび掲載される学会発行の『聖教グラフ』を野中が創刊号から全部調べ上げ、学会が届け出ている資産リストと突き合わせた。その結果、届け出のない絵がいろいろあることがわかったという。
そんなこともあり、当時の秋谷会長は、「野中は怖い、怖い」としきりに漏らすようになったという。
●●●抜粋引用、終わり。(あとでまた追加します)
基本的には、自民党に恫喝されてこの頃に始まった自公の協力関係、全国の選挙区で創価学会公明党が票を自民党候補に回しながら、比例区では自民党の支持層の一部を回してもらう、という「持ちつ持たれつ」の関係が20年続いていると言えると思う。
上で抜粋引用した魚住昭著『野中広務 差別と権力』の記述は、すべてが真実かどうかはわからないが、魚住昭さんが創価学会公明党から訴えられたという話は聞かないので、基本的には真実なのだと思う。
秋谷会長が国会に参考人招致された宗教法人法改正についても、勉強不足でまだよくわからないが、これからしっかり勉強して、ここに内容を追加していきたいと思う。
厳しく言えば、創価学会公明党は国家権力から大弾圧を受け、結果的にその軍門に降ってしまったということだ。このことを理解すれば、いまの自公政権で公明党が下駄の雪といわれるのも、よく理解できるというものだ。憲法改正についても明確にNoといえず、敵基地攻撃について記者に質問されると山口代表は途端に機嫌が悪くなる。これも公明党がいかに自民党に恫喝され、虐げられながら連立を離脱できずにいることの証左に他ならない。核兵器禁止条約についても被爆国として会議にオブザーバー参加することすらせず、「橋渡し」とか「賢人会議」とかでお茶を濁すだけ。4年前の沖縄県知事選で自民党候補を応援した際、日米地位協定を改定します、と遠山清彦らは叫んでいたが、その後、1mmでも改定されたか? 遠山ともうひとりくらいが米国に飛び、だれかと会見したのは報じられたが、それだけ。
岸田はこれだけ全国の米軍基地からオミクロン株の流行拡大が広がっても、日米地位協定を変えるつもりはないと頑なで。
さっきも創価学会壮年部の若者?とメッセンジャーで対話していたのだが、「オグラさんは最近、公明批判ばかりで、どうしちゃったんですか?」という。「昔みたいにバカ話とか書いてほしいですよ」みたいな。彼はこうもいう。「僕は公明党にお世話になったので批判はしません」「オグラさんみたいに政治を勉強しているわけではないし、アタマもよくないので」みたいな。
これもどっかに書こうと思ってたんだけど、創価学会の初代会長、牧口常三郎先生は、戦時中、軍部政府の学会に対する弾圧が強まるなか、弟子の戸田城聖先生にこう話したという。
「私が嘆くのは一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす滅び去ることだ」と。
あれから80年。創価学会が支援する公明党の一挙手一投足は日本の政治を左右するのはもちろんのこと、日本の政治、経済の行き方は世界経済、世界平和にも大きく影響している。
創価学会という一宗教団体が、自分たちのエゴだけで連立政権での立ち位置を云々しているのは、心ある日本人として本当に情けなく、みっともないと思う。
今日、伊藤詩織さんに対するアベ友の男の性暴力が第二審で断罪されたが、僕の知る限り、公明党の国会議員は、だれひとりこの問題で声を上げる者はいない。なぜか。いうまでもなく被告が長く首相を務めた安倍晋三に非常に近しい存在だからだ。
情けない。ただただ情けない。それを見ていて、何も言えない支持者たちも本当に情けない。
牧口先生と同じ気持ちなんていうと、あまりにもおこがましいが、でも本当にそう。