【短期集中連載】創価学会「支部長」オグラ、 公明支援やめるってよ -18- 〜聖教新聞の民音「ミラノ・スカラ座」の記事を読んで創価学会の公明支援強制に思うこと。~

僕は聖教新聞の2面か3面に掲載される民音(民主音楽協会。創価学会の池田大作先生が設立された民衆のための音楽文化団体)の記事が大好きで。最近はずっと、民音が招聘して日本での公演を大成功に終わらせた「ミラノ・スカラ座」について、ずっと連載してる。

記事を読むたびに、いつも心躍る。僕はオペラとか見たことがなく、もちろんミラノ・スカラ座の日本公演がどれだけすごかったのかも知らない。でも記事を読むたびに、記事につけられた小さな写真を見るたびに、その公演がどれだけ革命的だったのかということを知ることができる。

たぶん、この民音の記事を書いている聖教新聞の記者の方は、ものすごくハートが温かい人なんだろう、ということは、よくわかる。もちろん複数の記者が記事の執筆に携わっているのだろうけども、全体の雰囲気がそうだし、中心となる記者の方が、とてもすばらしい、音楽や文学やオペラや芸術に、とても造詣の深い方なんだろうなあということが、ビンビン伝わってくる。

別に比較して言うわけではないけど、聖教新聞にちょこっと連載されてて、月刊誌「潮」に長期連載されていた「池田大作の軌跡」みたいな記事は、聖教新聞の編集局長も務めた丹治正弘氏がおもに執筆したという話は、風の噂に聞いた。

あと出しじゃんけんでいうわけじゃないけど、月刊誌「潮」を組織購読で半強制的に取らされていたときは、いまは月刊誌を強制的に組織購読させる時代じゃないよなぁ、と思いつつ、まったく読まないのももったいない、と思い、「池田大作の軌跡」だけを読んでた。だけど、短いわけじゃないけど、読み終えてみても、なんとなく心に残るモノがないというか、感動に打ち震える、という経験が、皆無に等しかった。なんでなんだろ、ってずっと疑問に思ってた。

僕は学生時代、創価学会の千葉文化会館(今日2022年1月29日現在、建て直し中)にあった出版コーナーでアルバイトをしていた。たしか土曜日だったか。先輩の方とふたり態勢で。

会合のない土曜日、わざわざ千葉文化の出版コーナーまで書籍を買い求めにいらっしゃる学会員の方も、そう多くはなく。代わりばんこに、ふたりのうちひとりが、出版コーナーのカウンターの下のお客さんに見えないところで昼寝をしてたのも、いい思い出で。笑

時間は有り余るほどあったから、本棚に並んでいた売り物の書籍を、片っ端から読み漁った。なかでも、ものすごく記憶に残っているのが、公明新聞の記者をリタイアされた吉村元佑さんの『人間の中へ』。読んでるうちに、自然に涙がボロボロこぼれてくる。池田先生の世界って、なんてすげーんだ。それを何十年かしてから取材して文章にまとめる吉村さんの偉業を、いま思い出すだけで、目に涙が溜まってくるよ。

立ち読みだけじゃもったいない、と思って『人間の中へ』はほとんど買い集めたと思う。南米のヤツとかヤバすぎる。文化祭に参加するために、交通費がないから、長い距離を歩いて練習会場に向かう少年とか。

たしか、彼が警察官にバカにされるんだよな。お前は日本の宗教なんか信じて、池田大作なんてインチキなペテン師を信じて、アタマ大丈夫か?みたいな。

そしたら、その少年が、ソッコー言い返す。「あなたには人生の師匠がいますか」。

それを聞いた、面倒を見てる係のおばちゃんが、彼の名前を叫んで、彼を抱きしめ、あんたはあたしの本当の同志だよ、って。

けっこう覚えてるもんだな。

なんの話だっけ。忘れちゃった。

あー、丹治正弘、文章はうまいんだけど、心がないって話ね。

あたしは丹治に、学生部の頃、中央で「文芸委員会」っていうのに参加してて、お世話になってた。

で、当時あった(いまもある笑)創価新報という創価学会青年部の機関紙で、文芸委員会に所属してる学生部のメンバーが順番に執筆させてもらうコラム記事があり。僕も丹治の指示によって記事を書かせてもらった。自分でも、これじゃあダメだ、と思ったけどな。で、自分の書いたコラムが掲載される創価新報が届いた朝、真っ先にそのコラムのページを開いたさ。たしかにコラムは載ってた。僕の署名入りで。だけどコラムの内容は、僕の書いた原稿とは、最初から最後まで、なにひとつ一致していない。要するに、ダメダメな僕の書いた原稿を丹治がゴミ箱に捨て、自分でチョロチョロッと書き直したヤツを載せたわけだ。

それ以来、僕は文芸委員会に行くのをやめた。その当時は、自分がなんて情けない存在なんだろう、という申し訳なさに苛まれて、行けなくなった。でもいま思えば、どれだけ学生の書いた原稿がクズでも、なにひとつ言ってくるでもなく、チョロチョロッとイチから書き直したヤツを他人の署名入りで新聞に載せるヤツの気が知れない。

そのあと、一度だけ、直筆の手紙をもらった気がする。内容は覚えてないけど。まあ、戻ってこないか?という内容だったのだろう。

僕が毎日新聞に写真記者として入社が決まったことを人づてに報告したら、うれしい、みたいな反応が、やはり人づてに伝わってきた。それから、風の噂に、いろいろ丹治の毀誉褒貶を聞いた。

まあ、若い頃からブイブイ言わせちゃうと、どうしても傲慢になるんだろうねえ。佐藤浩とガミラスとイスカンダルの関係とか、よくいわれるけど。いわれないけど。俺が言ってるだけだけど。

丹治の指導で覚えてるのは、たぶん学内(同じ大学に通う創価学会メンバーの学生たち)の会合だったと思うけど、丹治が、結集に命をかけろ、という話で。彼が学部か全体の責任者をやってたとき、徹底して声を掛けまくって、どうしても人数が集まらなかったとき、駅前にある早稲田予備校の浪人生も連れてきた。誰かが飼ってたネコも連れてきた。そのくらい、結集には命を賭けよ、という話で。

純粋で幼気(イタイケ)な学生オグラは死ぬほど感動したわけですよ。

佐藤浩の指導で覚えてるのは、ふたつ。
・散歩で富士山に登った者はいない
・クルマはハンドルを回しながら動かすもんだ

どっちもめちゃめちゃ感動した。たぶん僕の血肉の一部には、間違いなくなってる。

でも、佐藤も若くしてブイブイ言わせちゃうと、あっという間にエラくなり、天狗になっちゃうんだよなぁ。

僕の研究取材対象としては、佐藤浩とか丹治正弘とか、あと、ゆーたれば、純粋培養で育てられた創価学会女子部(当時)の創価学会本部職員の女性4〜5人と同時にステディな交際をされていた(笑)弓谷がいまどんな暮らしをしてるのか見てみたい。知りたい。あとはウグイス嬢の女子部を食っちゃった長沢広明とか。どうも弓谷は創価学会の職員はクビになったらしいけど、外郭団体の最下層のあたりで毎日イモの蔓を食らって暮らしているとか聞くけど。

弓谷は、高等部の会合で創価学会 船橋文化会館に来たのを覚えてる。なんか見た目はキモいな、キモいめがね掛けて、髪の毛もキモくて、あいさつも「僕は東大に受かりましたが創価大学に行きました」。それ自体、キモいと思わない本人と、それを増長させている連中が死ぬほどキモいと思った。

あと、いまはなき創価学会 八千代文化会館。国道296号線を東へ勝田台方面に向かう手前、京成バラ園に向かう交差点を曲がってすぐの右側にあった。

いまから20年くらい前? 当時、民主党だった、永田寿康が「創価学会公明党は、選挙のたびに住民票移動してる」みたいな、何十年も前から何千回も完全否定されてる手垢のついた古くさいデマを、バカみたいに公共の場で声を張り上げて叫び。

もちろん、まだお元気だった池田先生は、ソッコー指令を発し。永田を潰せ、と。

それは別に、永田寿康を殺せとかボコボコにしろとか、そういうことではない。決してない。断じてない。

千葉の君たちが死ぬ気で祈って死ぬ気で戦って、そんなふざけた野郎は、クズみたいなデマを二度と言えないようにしろ、という厳命なわけで。

当時、創価学会の全国男子部長だった弓谷と、全国男子部書記長(たぶん)だった高木総千葉長(2022年1月現在。変わってたらゴメンw)が、八千代文化会館の建物の外の向かって右端にあった喫煙コーナーで、ひとことも口を利かぬまま、黙ってふたりでタバコを吸ってたのを、いまでも思い出す。

弓谷が本部職員の集まる会合で池田先生に断罪され、失脚するのは、そのあとすぐのこと。

話は学生時代に戻るけど、佐藤浩が創価学会の全国学生部長をしてた頃だと思うんだけど、有名どころの大学の新入生を集めて、青年会館2階あたりの会議室で集団面談をするのが死ぬほど嫌だったな。

要するに青田買い。これからの創価学会公明党を背負って立つ有望な人材を買い漁ってたんだろうけど、あたしゃあ性悪だから、こんなアタマの悪そうな網には引っかかるまい、と思いながら、泳げタイ焼きクンを歌いながら、わざと元気ないフリしてた。佐藤浩は、ちゃんと勤行してるか、なんて言ってきたけど。知るか、そんなの。

この記事を書きながら、毎日新聞福岡総局でお世話になった先輩と、学生時代、地元船橋でお世話になっていた創価学会の先輩に電話してみた。どちらも話すのは何十年ぶり。おふたりとも、お元気そうだった。

毎日新聞の写真部の先輩は、いまも福岡に住んでるんだって。海釣りとパチンコ三昧の日々だって言ってた。ふらっと福岡に行ったら会ってもらえますか?って聞いたら、死んでも嫌だと言われた。創価学会の先輩は、ずっと学校の先生をされていたんだけど、数年前にリタイアされ、いまは通訳の資格を取るために猛勉強中なんだって。2022年2月2日に会う約束をした。

オチがありませんが、このへんでアップしますね。

あ、創価学会の公明支援強制については、なにひとつ言及できてないですね。

さっきの学会の先輩との電話でも話したんだけど、たとえば、ある宗教団体に属していたら、ある街の商店街にいくつかあるスーパーのうち、特定のスーパーでしか買い物をしちゃいけないっていわれたら、どうだろう。そのスーパーの商品が微妙にイマイチだったら? たいして安くもなく鮮度もよくなくて、安いと思って買ったら野菜が部分的に腐ってたら? それでも、そのスーパーでしか買い物をしてはいかん!と言われたら。

創価学会が公明党支援を強制するのは、そういうことであり。

誰も、おかしい!と声を上げないこと自体、アタマおかしいと思わざるを得ないわけで。

僕がたまたま間違って公明党議員になっちゃってたら、こう言うと思う。

「支援してくださっている創価学会のみなさま、もしも公明党が推進する政策で、これは違うんじゃね?と思うことがあったら遠慮なく言ってきてください。必ずしかるべき場で徹底的に議論いたします。それでも、どうしても公明党の政策がお気に召しませんでしたら、支援していただかなくて結構です。立憲民主党でも日本共産党でもN党でも自民党でも維新でも、好きなところに投票してくださいませ」

少なくともオレは、嫌われてる人間に強制的に投票を強いるほど、人間として終わってはいない。

それが生きてる人間としての最低限の矜持ではないか。矜持ではないのか。

さっきのスーパーの喩え、別に床屋でもスーパー銭湯でもキャバクラでもガールズバーでもソープランドでも耳鼻科医でもなんでもいいのよ。

とりあえず、人が嫌がることを強要するなよ。

いったい何の権利があって、人が嫌がることを強要するんだよ。

公明党は、創価学会からの強制支援を打ち切るべし。

で、700万票だか800万票だか知らんけど、心ある創価学会員の支援が離れたら、自分たちの力で、何千万票でも集めてこいよ。公明党職員も死ぬ気で戦え。言葉だけじゃなくて、文字どおり、ひとつの選挙が終わったら何人か倒れるくらい、死ぬ気で戦え。そこに支持者はついてくるんじゃないのか?

“【短期集中連載】創価学会「支部長」オグラ、 公明支援やめるってよ -18- 〜聖教新聞の民音「ミラノ・スカラ座」の記事を読んで創価学会の公明支援強制に思うこと。~” への3件の返信

  1. うたた寝中の一般婦人部
    ここ何年か思っていたけど、公明党応援が嫌だった。選挙前の会合は信心より選挙マシーンの扱い。政策も地方自治体レベルでどうも納得できない
    昨年の衆議院選挙は他党に入れた。今回も政策で選ぼうと思う
    地区の婦人部にその思い話したら「幹部の指導受けたら、、、」だそうです
    信心がおかしくなっているのかと思う時もあったけど
    幹部の方でもそう思っている人がいると思ったら安心した

  2. 加納さん、コメントありがとうございます!
    同んなじふうに思っている心ある学会員さんは、日本中にいっぱいいますよ!
    加納さんはtwitterはやられていますか。
    twitterには日蓮仏法や学会を心から愛し、公明党創価学会に本来の姿に戻ってほしいと思って発言されている勇者がたくさんいらっしゃいます。ぜひtwitterをやられることをオススメいたします。
    僕は@ogurayでやってます!

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