(仮)ドゴールの指導

若い方々は知らないのかな。89年4月25日「第十四回全国青年部幹部会」スピーチ(池田大作全集第72巻)

先に言っておくけど、僕はこの指導が発せられた時から、このご指導が気になって気になって仕方がなかった。僕がフランス好きだというのもあるけど、それだけじゃない。池田先生の数多くのご指導のなかでも、このご指導は命に刻みつけなくてはならぬ、ということを強く感じた。なぜだかわからないけど。

以下、抜粋。

少々、ドゴール(一八九〇年~一九七〇年)についてお話ししたい。
 さきほど、「声」のもつ働きについて触れたが、ドゴールは、そうした「声の力」の偉大さを最も鮮明に証明した人物の一人でもあった。
 第二次世界大戦のさなか、「戦いはこれからだ!」と、彼は叫ぶ──それは、ラジオ放送を通じてのことだった。
 一九四〇年六月、ヒトラーのドイツ軍がパリを占領。世界の″文化の都″は、ナチスの軍靴に蹂躙され、凱旋門には、カギ十字(ハーケンクロイツ)の旗がひるがえった。フランスの栄光は完全にまみれた。大敗北である。この時、だれが立ち上がったか──。時の首相・ペタン将軍は、何と即刻、全面降伏を決定した。
 「涙をのんで、フランスは戦闘をやめねばならない……」──首相のラジオ放送を人々は絶望の思いで聞いていた。そのそばをドイツ軍のオートバイが、我がもの顔で走り抜いていく。屈辱が胸をかんだ。もはや、すべてが終わったのか? このままヒトラーの野望の前に、フランスの偉大な歴史は幕を閉じようというのか?だれも答えられなかった。
 しかし、ペタン首相の放送から約二時間後のことである。ある村の一人の若者が、家から走り出てきて、村人に叫んだ。
 「すべてが終わったわけではないらしい……たった今、将軍がラジオで話してた。闘い続けなけりゃならんと言っていたぞ」
 「将軍って誰だね、ウェインガかめ?」
 「いや、ドゴールって名前だ」(ジャン・ラクーチュール『ドゴール』持田担訳、河出書房新社)
 ドゴールは呼びかける。
 ──諸君、フランスは戦闘に敗れた。しかしフランスは戦争に負けたのではない、と。
 人々はラジオに耳を押しあてるようにして、この唯一の″希望の声″に聞き入った。その日、こうした光景は全国で見られた。
 この時、ドゴールは四十九歳。ロンドンにいた。一般にはほとんど無名の存在であった。彼は先輩の上官たちが、皆だらしなく降伏したことを知るや、急きょイギリスに飛んだ。そして、ロンドンのBBC放送から、全フランスへ救国の声を送り続けた。くる日もくる日も──。
 「この休戦は単なる降伏ではなく、隷属となるであろう。手も足も出ないようになって、敵に引き渡されることだ」
 「フランスの兵士よ!今、君たちのいる場所で立ち上がれ!」
 「フランスの士官、フランスの兵士、フランスの水兵、フランスの操縦士、そしてフランスの技師諸君、どこに君たちがいようと、さらに闘うことを望んでいる人々と協力することを努めたまえ……」
 「何が起ころうとも、フランスの抵抗の火は消えてはならないし、また消えることは絶対にないだろう!」(G・ボヌール『ド・ゴール』宗左近訳、角川文庫)
 この一言一言、ドゴールの魂(たましい)からほとばしる声に、レジスタンス(抵抗運動)の炎が、燃え上がっていった。
 ドゴールは一人で戦っていた。その懸命の一人の、魂から発せられた言葉だったからこそ、それを聞いた多くの人々が立ち上がった。
 人々の心を真に共鳴させるもの。それは、口先の言葉や格好の良さなどでは決してない。絶対の確信に裏付けられた″力の声″なのである。

 精神復興のレジスタンスを

 有名な作家モーリヤックは書いている。
 「われわれの運命の最も悲惨だった時期には、フランスの希望は一人の人間にかけられていた。その希望はこの人物の──この人物だけの声によって、表明されるばかりであった」(F・モーリヤック著『ドゴール』岡部正孝訳、河出書房新社)と。
 そして地下に隠れ、頭上の天井をドイツ軍将校の足音が揺らすのを聞きながら、毎日、ドゴールの放送を待ち望んだ、と回想している。
 「われわれは受信機の前にいない家族の者たちの方へ走って行って、『ドゴール将軍が話をするぞ、彼の話がはじまるぞ!』と知らせたものだった」(同前)と──。
 その声は妨害電波網をくぐり抜けて聞こえてくる、かすかな声であった。しかし、ナチス支配下の暗黒時代、このかすかな声が、唯一の希望の光だったのである。
 ただ一人の、しかし確信に満ちた凛然たる″声″──。その響きがどれほど力強く人々を励まし、心に「希望」と「勇気」を与える源泉となるか。モーリヤックの回想はこのことを如実に語っていよう。
 ドゴールの「声」は、一歩も退かぬ彼の「行動」とつねに一体であった。否、この時、彼にとって「声」こそが、祖国のためになしうるただ一つの、すべてを賭した「行動」そのものにほかならなかった。
 「行動」と「責任感」、そして胸奥にあふれる「情熱」──。これらと一体となったやむにやまれぬ″魂の叫び″から、やがて時代をも動かす共感のうねりが生まれていく。そこに、私どもの進める″対話″の真髄もある。どうか若き諸君は、透徹した行動と対話で次代の扉を開きゆく、深き信念のリーダーと育っていただきたい。

 ところで、私が長年、親しくお付き合いしているフランス上院のアラン・ポエール議長も、当時、ロンドンのドゴールから指示を受け、レジスタンス運動を展開した闘士の一人である。
 一九八一年六月、私がパリの上院議場に同議長を訪ねたさい、議長は当時の思い出をこう語ってくださった。
 ある時、自分はナチス・ドイツに囚われの身となってしまった。いよいよ銃殺という時、運良くドイツ軍の爆撃が始まった。突然の爆撃に拳銃を持ったドイツ兵が驚き、たじろいだ瞬間に、窓から飛び降り、助かることができた──と。
 そして当時の心情を、「どんなことがあっても自分は降伏しない、たとえ殺されることがあっても抵抗の歩みは止めないとの決心であった」と述懐されていたことが、今も私の心に深く刻まれている。
 そのさい議長は「今、SGI会長は仏法流布のために命を賭けて世界を駆けめぐっておられる。私はその戦いの姿を、深く尊敬するのです」とも語ってくださった。
 この「戦い」ということで思い起こすのは、やはりナチスと戦い抜かれた美術史家のルネ・ユイグ氏が、私どもの″エスプリ(精神)のための戦い″に深い期待を寄せてくださっていることである。つねに″精神の闘争″に挑み続けゆく中にこそ、人間としての真の偉大さが輝いていく。
 また、かつてイギリスの故トインビー博士との対談を終えるにあたって、私は博士にたずねた。「私は、トインビー教室の卒業生となったわけですか」と。博士は笑みをたたえながら、「あなたは最高の優等生です」と、ユーモアを交えて語ってくださった。
 そして「私個人に何か忠告がありましたら」との質問に、博士は「私があなたに個人的なアドバイスなどすることは僣越だと思います。私は″学問の人間″である。あなたは″行動の人″であり、大変に重要な組織の責任者でいらっしゃる」と語られていた。その姿が、きのうのことのように思い出される。これが、世界の一流の識者の理解である。
 揺るぎない信念で、行動し、戦い抜く人生がどれほど尊く、崇高な生涯であるかを深く確信していただきたい。

 さて、先ほど述べたように、民衆は圧倒的にドゴール将軍を支持した。しかし、フランスのペタン政権は、政府の決定に従わない、この傲岸不遜のドゴール将軍に、死刑の宣告を下す。
 そして、「下男根性のフランスの新聞はこの首斬り人(=ペタン首相)のために、彼(ドゴール)にありとあらゆる侮辱と嘲笑を加えつづけた」のである。
 後にドゴールは語っている。「私は、私と人民のあいだに介入する傾向がある″選良たち″よりも、むしろ人民の中に、今まで以上に支持を求めなければならなかった」(前同)と──。モーリヤックは、この言葉こそドゴールを解く「鍵」だとしている。
 結局、信頼すべきは無名の庶民、民衆をおいてない。このドゴールの抱いた感慨に、私もまた私自身の経験から、深い共鳴を覚える。
 ドゴールは亡国の危機に一人立ち、「自由フランス軍」を結成。北アフリカ戦線その他の戦いを重ねて、四年後の一九四四年八月、ついにフランス本土を解放するにいたった。まさに「二十世紀のジャンヌ・ダルク」の使命を果たしたわけである。
 ドゴールは夢想家ではなかった。むしろ、まったく逆に、透徹した現実主義者だった。それゆえに、「希望」のもつ現実的力を熟知していた。
 作家のアンドレ・マルロー氏とは私も二度対談を行っているが、彼もまたドゴール政権下の閣僚を何度もつとめた″右腕″であった。
 ドゴールはマルロー氏に、こう言っている。
 「行動と希望とは引き離せないものだった。希望はまさに人間にしかないものらしい。そこで、個人においては、希望の終りは死のはじまりと思いたまえ」(マルロー『倒された樫の木』新庄嘉章訳、新潮選書)と。
 フランスの大逆転劇は、まさにドゴールによってもたらされた、民衆自身の「希望の力」の勝利だった。一人の無名の将軍の戦いに呼応した民衆の凱歌であった。
 民衆の力ほど偉大なものはない。民衆の英知ほど鋭いものはない。民衆の力を知ることは、真の指導者の証といえる。
 そして私は、青年部の諸君こそ、民衆の心を我が心として、壮大な妙法広布の流れをリードしゆく使命の指導者群であると申し上げたい。諸君も民衆を軽蔑し、侮辱する一切の勢力とは断固として戦ってもらいたい。そこにこそ、揺るぎなき盤石なる勝利の歴史をつづれるからだ。

 自分の中に「学会」を築け

 こうしてドゴールは、二十世紀の歴史を飾る人物となった。だが、いったい何が、彼にこれほどの行動力と影響力を与えたのか。そこには、ある種の謎が残る。
 イギリスに渡った時、ドゴールにはなんの権力もなかった。兵力も財力も、名声の力もなかった。それどころか、本国から役職を剥奪され、「死刑」を宣告された″一兵卒″にすぎない。異国にあって、よるべき土地もなかった。文字どおり、丸裸の中年男であった。
 その彼が、イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領といった、当代きっての大物政治家を向こうに回して、″戦うフランス″への支援をとりつけていったのである。フランスの正式な政府の決定をさしおいて、たった一人「私はまだ戦う」と言っている。この風変わりな男の、どこにそんなに力があったのか。
 国際政治上の力学や、駆け引きは別にして、不可能を可能にしたドゴールの強靭な人格の秘密について、マルロー氏は、のちにこう書いている。
 「(=ドゴールは)人々が国家の不幸に対して立ち向かわせることのできた唯一の人であった。それは彼が自分の中にフランスを抱いていたからである」(同前)
 「私がフランスだ!」──この確信がドゴールの力の源泉だったというのである。
 ドゴールはつねに大いなる誇りを持っていた。「私のいるところ、そこにフランスの魂はある」と。
 次元は異なるが、私もまた「私の中に創価学会がある」との決意で進んできた。
 胸中につねに「創価学会」を抱き、戸田先生、牧口先生の魂を抱いている。だからこそ私は強い。何ものも恐れない。また何があっても変わることがない。
 諸君も、それぞれの立場で、「私が創価学会である」「私の中に創価学会はある」との自覚で、誇らかに、また縦横に活躍していっていただきたい。

 一説では、ドゴールという名前は、それ自体<フランス人>を意味するという。少年時代から、彼は自分の人生とフランスの命運とを一体視していた。──フランスの栄光こそ、自分の人生の栄光であり、フランスの勝利のほかに自身の勝利はない、と。
 そして敗戦で、フランスの屋台骨がすべて崩れ落ちた時、廃虚の中に、この一兵士が、一人でフランスを代表し、主柱のごとく立っていた。彼は「だれかがやるだろう」などとは絶対に考えなかった。「だれかがやらねばならない。だから私がやる」。この情熱と責任感が彼の行動を貫いていた。
 徒手空拳の一亡命軍人が、祖国のために、ただ一人、「不屈のフランス」を代表し、フランスの栄光を取り戻そうというのである。彼の心情を思う時、その悲壮感と重圧は想像を絶する。普通ならば、死刑の宣告を聞いただけでも、震えあがってしまうにちがいない。また客観的には、むしろ狂気めいた、滑稽な姿としか見えなかったかもしれない。
 しかし彼は勝った。先に触れたように、彼には何も頼るものがなかった。丸裸で出発した。私は思う、ある意味で、だからこそ彼は強かったのだと。虚栄や虚飾が、微塵でも指導者にあったならば、生命を賭けた力は出ない。本当の仕事はできない。
 学会もまた、歴代会長の、すべてをかなぐり捨てた″必死″の戦いによって、だれびとも考えられなかった、奇跡ともいうべき勝利を勝ち取ってきた。ただ一人の戦いがつねに原則となっている。
 これからは諸君が、その力を証明する番である。これだけ多くの優秀な青年がいて、いかなる未来の結実をもたらしていくか。「世界」が見ている。「歴史」がじっと諸君を見つめている。青年らしく、学会っ子らしく「次の学会をよろしく」と私は諸君に託したい。
 ドゴールは「本国に入れないなら、周辺から戦おう」と決めた。フランスの植民地であった北アフリカの諸地域を、一つまた一つ、味方にしていった。一歩また一歩、本国政府も無視しえない勢力を築いていった。ある面からいえば、それは地を這うようなゲリラ戦であった、その一方、国内のレジスタンスとも、密かに連携を取り続けた。

 行動する人に希望の太陽

 私はこの十年間、くる日もくる日も、友の激励に徹した。一日に何百人、時には何千人の友に、信心からほとばしる″魂の声″を送り続けた。そうした友と私との一対一の心の絆によって、すべての情勢を一変させていった。単なる組織の力などでは決してない。これは自分のことになるが、将来のために、あえて言い残しておきたい。
 ドゴールは、いかなる状況にも追随しなかった。反対に、自分に状況を追随させるために立ち上がった。
 彼は権威をまったく無視していた。事実の上で、フランスのため、国民のために尽くす者だけを尊敬した。そして不敵に、剛毅に、胸を張って生き抜いた。

 それにしても、「負ける」ということは、まことにみじめである。敵はナチスばかりではなかった。大戦中、フランスは、イギリスからもアメリカからも、徹底して「敗戦国」扱いの侮辱を受け続けた。
 誇り高きドゴールは、しばしば激高した。「今に見よ!」。怒りを胸に刻んで、彼は耐え、時を待った。味方であるはずの英米にもなめられきった、このころの屈辱を、ドゴールは終生、忘れなかった。
 戦後の彼の、いわゆる独自路線は、この体験を一淵源にしているといわれる。英米と手を結ばず、頼ることなく、フランスはフランスの道を行くと決めたのである。
 ″フランスはフランス人の手で守らねばならない。フランスはフランスの独立の力で、はじめて偉大であり、輝きわたるのだ″──これが彼の信条であった。
 頑固なまでのその姿勢には多くの批判もあったが、彼は「どこにも頼らず、頭を下げる必要のない力をもつ。そうすれば相手の方が尊敬してくる」と、動じなかった。
 彼の政策の是非はともかく、その信念には学ぶべき真理が含まれていると思う。
 広布の前進にあっても、共感と理解を広げに広げていくことは当然として、所詮は、だれびとをも頼らず、民衆の団結の力で進んでいく以外にない。その奥底の覚悟が、学会を強くし、正法と広布の世界を厳然と守りゆく力となる。

 ともあれ、ドゴールの偉大さは、最も闇の深い時に、最も高く希望の火を掲げたところにある。フランスの夜明け前、太陽はすでに彼の胸中にのみ昇っていたのである。
 「太陽の存在が必要であるのと同じく、世界のため、フランスのために、正義の存在が必要だ。いつか必ず正義がやってくる。それをもたらすものこそ勝利なのである」(前掲)と彼は語っている。
 ″全滅″の状況の中で、彼のみが未来をあまりにも的確に見通していた。信じていた。「フランスは必ず勝つ」。彼のこの確信を軸に、その後の歴史は回転していった。
 こうして一人の勇者の声が、嵐も暗雲をも吹き払った。これは厳たる歴史の事実である。
 私は多くを語りたくない。また賢明な諸君に、これ以上、申し上げる必要はないと思う。ただ私は、清らかな正法と信心の世界を踏みにじり、占領しようとした狂暴な多くの悪と一人戦った。私には、ドゴールの孤独と苦衷が、そして不滅の誇りと喜びが、痛いほど伝わってくる。次はだれが立ち上がるのか。
 ゆえに私は重ねて「広布の未来は一切、諸君たちの手中にある。その中にのみある」と強く申し上げておきたい。

 最極の人生は深き使命の道に

 さて、本年からちょうど七百年前の正応二年(一二八九年)、大聖人御入滅後八年目となるが、日興上人は武家(当時の執権は北条貞時)に諫暁の申し状を出されている。
 この諌状を出される理由として、日興上人は次のように仰せである。
 「遺弟等且つは先師の鬱憤を散ぜんが為め且つは仏法の興隆を遂げんが為め」と。
 つまり、日蓮大聖人は国土の安穏のために「立正安国論」を著され、幕府要人に奏上された。しかし、はっきりした裁断もないまま大聖人は御入滅になられたが、日本の国情は安国論で予言された通りになった。ゆえに、遺弟等は、一つには先師・日蓮大聖人の鬱憤を晴らすために、また一つには仏法の興隆を成し遂げるために、この申し状を出したのである──これが日興上人のお心であられた。
 日本のため、また末法万年の民衆のために正法を説き明かされた大聖人。その大聖人に対し、数々の迫害に及んだ時の為政者たち。しかも世の中は、安国論の予言通りになっている。もとより、大聖人が法体を確立されて出世の本懐を遂げられ、大満足の御境界であられたことはいうまでもないが、当時の為政者たちをいさめ、正法に帰依させようとされたことからいえば、いかに残念に、また哀れに思われたことであろうか。日興上人は、直弟子として、師の思いを果たさんがために戦われたのである。
 次元は異なるが、戸田先生の法戦も、一つは牧口先生の正義を証明し、無念さを晴らされんがためであった。私の今日までの戦いは、同じく恩師戸田先生の思いを果たし、仏法の正義を実証するためでもあった。

 また日昇上人は、昭和二十三年十月十七日、学会の第三回総会で、「本宗発展の兆」との題で、特別講演をされている。これについては小説『人間革命』(第三巻)にも紹介しているが、御講演を次のように結ばれた。
 「かくして、宗門の檀信徒中より、産業、財界、文学、科学、政治、教育界に人材を送り、それを国家に反映せしめ、さらに世界に押し拡げ、以て永遠平和の道標に光輝あらしめねばなりません。
 これが、本仏宗祖日蓮大聖人の願業であり、又吾人の大願でなければなりません。今こそ宗門史上、一大転機を画すべき好機であります。願わくは、下種三宝尊の御冥護の下、宗門僧俗打って一丸となり、異体同心の祖訓に徹して叡知を集めて、一大計画を樹立し、正法弘通、立正安国に努力精進されんことを念願とする次第であります。創価学会員一同の受賜寿命、息災延命を祈ります」
 どうか、若き青年部の諸君が、このお言葉のごとく、社会のあらゆる分野で思う存分活躍していただきたい。それがとりもなおさず、世界の広宣流布を推進していくことになるのである。
 とともに、このように広宣流布のために戦っている学会員を見くだしいじめる者は、だれびとたりとも必ず仏罰を蒙るにちがいないと、私は申し上げておきたい。

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