【短期集中連載】創価学会「支部長」の僕が公明党支援をやめた理由 -03- 〜学会幹部と話してよくわかったこと〜

今回、創価学会の幹部の方々と話していて、よくわかったことがあるんだけど、彼らはひとりも漏れなく、公明党支援イコール100%完璧に学会活動、と思い込んでいる。幹部だけじゃない。いわゆる「活動家」と言われる方々は、みんなそう。創価学会の組織全般といってもいいかもしれない。

これはもちろん、創価学会の指導性がそうさせているわけで。

“公明党の支援を行うことは、創価学会の信仰の実践の一部なんですよ。公明党の支援を行うことは仏道修行に他なりません。なので、友人知人に公明党の正義を訴えることは、創価学会の正義を世の中に弘めることとイコールなわけで、やればやったぶんだけ功徳が積めるのです”と。

でも少し考えてみればわかることだけど、日蓮大聖人の仏法を実践すること、創価学会の基幹活動を推進することと、創価学会が設立した政党である公明党を全力で支援することって、おのずと次元が異なることですよね。

信仰というのは、いわば形而上学的な世界なので、理解納得することもさることながら、やはり「信じる」ことがどこまでも重要なわけで。創価学会の会員が日蓮大聖人の御本尊や御書や、創価学会の根本の指導性を疑っていたら、信仰をやってる意味がない。

でも政治というのは形而下な営みなわけで。具体的にどのような法律を制定し、どのように税金を再分配するか、というのは信じるかどうかというよりも、果たしてそれがまっとうかどうかが問われなければならない。

この連載の01で紹介した、池田先生のかつての指導を、もう一度思い起こしてほしい。

・ひとりひとりの創価学会員が、公明党の政策に異論をはさむことはアリ
・創価学会員であっても、公明党を支援しなきゃいけないということはない
・学会員の政党支持は自由

池田先生の言われることが単なる建前論でないとしたら(そう信じたいのだが)、これがすべての原理原則の出発点でなければならないと思うのだが、どうだろうか。

そこらへんが、いまの創価学会では、曖昧というか、あえてゴッチャにされているように思えてならない。

どういうことか。

創価学会の世界では、選挙のことを「法戦」と呼ぶ。あくまでも、広宣流布、この仏法を世界に広めるための、ひとつの手段、といった意味合いだろうか。創価学会員以外の方々にはちょっと理解しづらいと思うけど、選挙になると幹部はこんなことを言ったりする。曰く、

「公明党の候補が当選するかどうかは二の次だ。要は、われわれが選挙を使って、自分の周りの友人知人にどれだけ公明党の正義(≒仏法の正義)を語れるかどうかだ、と。

ここだけの話、僕も末端の幹部として壮年メンバーの方々に、この手のことをさんざん言ってきた。笑

選挙というのは「仏と魔との戦い」という言い方もよくされるよね。「仏敵」なんていうおどろおどろしい言葉も、ふつうにホイホイ登場し。ぶっちゃけ、選挙の場合の「仏敵」って、公明党の候補者の対抗馬である立憲民主党や共産党の候補者や支援者のことね。笑

選挙というのは勝ち負けがハッキリしてるから、たしかに広宣流布の進捗度合いをみるバロメーターとしては、よくできてるとも言える。

でも、疑う余地のない、あるいは疑う必要のない日蓮大聖人の仏法の実践と、有象無象の魑魅魍魎と日々妥協を重ねる政治の世界の公明党を支援することって、はたしてイコールで結べるものなのだろうか。

いうまでもなく、政治を行うというのは、具体的な政策を実行することで。集めた税金を、必要な用途に分配するということ。その優先順位を決めること。

それって、人によって価値判断がまったく違ってくる話で。公明党支持者であっても、さまざまな立場の人がいる。その人たちが、創価学会員であるという共通点だけで、公明党の政策を100%支持しなければならないというのは、かなり無理があると思うのだが。

公明党が野党の頃は、まだよかった。与党の政策を批判し、理想を叫んでいればよかったから。それに公明党は野党の立場でも、庶民のための政治を行ってきた。永遠の政権与党たる自民党と是々非々の立場で折衝を重ね、政治の力を本当に必要とする弱者のための政策を数限りなく実現してきた。それは本当に素晴らしい庶民発の政党の輝かしい歴史といえると思う。

自民党との連立政権が始まって20年が過ぎたけど、戦後ずっと政権与党であり続けた保守政党たる自由民主党と連立与党を組むようになってから、よくも悪くも公明党の変節は始まったと思われ。

むかし四月会という組織団体があって。平たくいうと、創価学会公明党をdisり、バッシングする、ただそれだけのために存在していた団体なのだが。

公明党が与党に飛び込んだのは、この四月会からの攻撃があまりにもウザくて、それをどうにか防ぐにはどうしたらいいか、みたいな“長老たち”の知恵もあったみたいだけど、まあ細川政権など、非自民連立政権のあっという間の瓦解も公明党をして自民党との連立に走らせる、ひとつのきっかけになったのかもしれないね。

このへんのことは、かつて記事にしたことがある。こちらですね。『公明党に問う この国のゆくえ』 。自民党と連立政権を組むことによって、国家権力からのバッシングは収まった。

そうして公明党は変節した。よくも悪くも。連立政権というのは小学校の運動会の大玉転がしに似て、みんなの頭の上を大玉を転がすときは、なんとか落とさないように、みんな頑張るわけで。

僕ら公明党支持者たる創価学会員も、公明党の議員さんたちは連立を組んだ自民党議員を抱きしめ、祈り倒す勢いで、広宣流布のために全力で戦ってくださっているに違いない、と信じ、選挙のたびに全力で祈り、勇気を奮い起こし、自分の友人知人に全力で公明党の正義を訴え、投票を依頼してきたわけだ。

ここまで書いて、アタマに浮かぶ『人間革命』の一節がある。日蓮正宗大石寺での会議の席。戦後、大石寺は荒廃し、農地改革もあって莫大な土地を失った。昔からの講頭とかが、カネを出すには、出し甲斐があるようにしてくれ、みたいなことを言い放ち。その場にいた創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、“なんだその物言いは。学会はいまはまだカネはないけど、カネが集まったら、いくらでも本山を荘厳してみせる”と決意した、というくだり。

何が言いたいかというと、われわれ創価学会員としては、上のほうのエラい人が決めたのであろう自民党との連立政権は、応援するしかない。公明党の議員さんたちは、がっつりお題目をあげ、連立の相手である自民党の議員の懐に飛び込み、ときには熱く議論をぶつけ合い、ときには酒を飲み交わしながら、公明党の正義を、創価学会の仏法の正しさを、熱く熱く熱く、語っていらっしゃるに違いない。そうひたすら信じ、公明党の支援を続けてきた。

創価学会員あるいは元創価学会員でありながら公明党創価学会を攻撃する方々の多くは、公明党が自民党と連立して以降の、具体的な政策について異論を唱えている人が多いですよね。

安保法制とか、テロ等準備罪法とか。すみません、申し訳ないことに、僕はそんなに詳しいわけではないのですが、ひとりの敬虔な創価学会員として、公明党が自民党と議論を重ねて結論を出したのだから、それなりに必要性があって整備された法律なのだろう、と思ってた。安保法制に関しては、田原総一朗や佐藤優が「必要なんじゃね」と言ってるのを知り、そうなのか、と思った記憶があり。

自分なりに、こんなふうに納得させてた。地元の京葉道路、ずっと工事してた。渋滞緩和のための拡張工事を。でも、もともとある高架を広げることはできない。中央分離帯とか路側帯とかをなんとかやりくりして、車線を増やすことをねらったわけで。

安保法制もこれに近いのかなと。憲法で禁止されている集団的自衛権に抵触するかどうかはギリギリ微妙な線だと思うけど、公明党の頑張りで、なんとかフルスペックの集団的自衛権の行使には歯止めをかけることができた、と。これは佐藤優の受け売りだけど。

僕もガチガチの原理主義者ではないので、連立政権が複数の政党が寄り集まって政権を維持するということは、それなりにお互い、妥協が必要なんだろうなあということくらいはわかる。公明党の推進する弱者のための政策を実現させるためには自民党が望むようなマッチョな政策も、あるていどは飲まなくてはいけないのだろうということも。

それはそれでいい。まあ、やや説明が不足気味かな、とはいつも思うけどね。

僕がつねに問題にしてるのは、具体的な法案とか政策というよりも、自民党の抜きがたい金権腐敗、民主主義破壊の体質に対してだ。

これはアベ一強あるいは一凶と切っても切れないと思うのだが、アベの首相時代がムダに長く続き、森友加計サクラ河井1億5千万と、民主主義を根底から破壊するような破廉恥な犯罪的行為が次々と明るみに出て。

こういうの、正義感のカタマリであるオグラ青年としては、絶対に許せないんですよね。

このあたりのことを、創価学会の幹部や最前線のメンバーと、ずいぶん語らってきた気がするんだけど、どうもあんまり憤ってる人っていないように感じるわけで。

Facebookやtwitterなど、SNSでもずいぶん公明党の国会議員にコメントをつけたけど、誰ひとりとして返事をしてくれる人はいないわけで。まあ、みなさんお忙しいだろうから、仕方ないと言えばそうなんだろうけど、だったらSNSなんかやるなよ、と心の底では思うわけで。なんか流行に乗ってSNSを始めてみましたけど、めんどくさいクレーマーに返事をするようなヒマもないし、そんなつもりもない、っていうのが透けて見えてね。

話を元に戻すけど、公明党支持者たる創価学会の幹部の方々や最前線の創価学会メンバーの方々は、公明党が連立を組む相手である自民党のこういう不祥事を繰り返す体質、金権腐敗、民主主義破壊の暴虐に対して、何も思わないのだろうか。

これが僕の長年の疑問。

このあたりのことをひとりひとりの創価学会員、公明党支持者の皆様がどう自分を納得させているというのには、いろいろ段階というかレベルがあるんだろうけど。

・そもそもなんにも感じてない
・自民党の体質はあまりいいとは思わないけど連立政権を組んでるから我慢するしかない
・自民党は大嫌いだし、許しがたいけど、学会の幹部が言うことだから従うしかない

……みたいな。

ここまで、それなりに、なんかいい感じで書けたので、このへんで再アップしますね。
バージョンとしては、まだ0.3だと思うけど。でもブログやネットメディアというのは紙の新聞でも書籍でもないので、完成を目指して、いくらでもアップデートしていいんだと思う。また変わってるよ、キィッとか思う人はいないと思うけど、もしいたとしたら、自動ツールでも使ってすべての履歴を保存するようにしてね。笑

完成を目指して、いくらでも書き換えていい、というのはブログでマネタイズしてる達人に教わったこと。なるほど、そうだよね。見に来てくれる人というのは、いつこのブログが書かれたかなんて気にしないし、つねにいまを基準にしてその文章を読むわけだからね。

まあ、いいや。それなりにまとまった文章が書けると、とてもうれしいですね。

●以下は、思考の断片。参考までに。

せっかく書いたので、少し別の角度?から。

信仰、というモノはある意味、なにかしらの「絶対」を想定するモノだと思うのだが。
日蓮仏法の正統たる創価学会としては、

・日蓮大聖人の御本尊、御書
・初代牧口先生、第二代戸田先生、第三代池田先生の指導
・公明党の正義
・連立与党たる自民党(?)

正しい、といえるモノって重層的というか、何重にもなってると思うんだけど、もちろん同一円状にアレしてると思われ。

創価学会の掲げる「絶対」には、いくつかの階層あるいはグラデーションがあって、そのすべてがイコールではない、ということ。ニアリーイコールではあっても。イコールとニアリーイコールって、天地雲泥の差が、あるわけで。

僕の信頼する創価学会の幹部と話していて、よくわかったことがあるんだけど、彼らはその「絶対」のグラデーションを、ちゃんと認識してない。ニアリーイコールを、イコールと勘違いしてる。そうさせたのが誰の罪であるかについては、ここでは問わない。

でも、戸田先生も、池田先生も、明確におっしゃっている。

権力の魔性とは、徹底して戦え、と。

いまの公明党が、権力の魔性と徹底して戦っているか?

もしそうであるならば、その尻尾くらいは見えててもおかしくないと思われ。

たとえば自民党の右派から、公明党はウザいのでさっさと切れ、みたいな話が出てるとか。

そういう話は、残念ながら、寡聞にして聞いたことがない。本当に残念なことではあるのだが。

腐れきった自民党と連立を続けようというのであれば、もっともっと、いまの数十倍、いや数千倍、自民党と連立を組んでると、こんなにいいことがあるんですYO!ということをアピールすべきだと思うな。

なんか、見出しと内容が盛大に違う方面に行ってる気がするのですが。笑

それはそれとして。

そう。創価学会の幹部は、クレバーじゃなきゃダメなのよ。

僕が高校を卒業して、一年浪人して入った早稲田大学法学部で、当然のように創価学会の学内サークルに入った。東洋思想研究会だったかな。

そこで4年生の先輩の森本さんと出会い、大学のキャンパスのそばの定食屋で昼メシをごちそうになった。

好きなもん、頼んでいいよ、っていわれて500円くらいのハンバーグ定食をたのんだ。

そしたら森本さんは、僕の目の前で納豆定食を食ってる。たぶん100円以下?

その席で、当時の創価学会の高等部長だったか、名前は忘れちゃったけど。その男の話題になり。

「彼はテクノクラートだよ」、森本さんは、そう言い放ち。

テクノクラートって、意味はよくわかんなかったんだけど、たぶん自分の頭を使わずに、上の指示にただ従うだけ、みたいなニュアンスを、僕は受け取った。

うゎ、創価学会の全国高等部長を、テクノクラートなんて、disっちゃうんだ、この人。

いいのかなぁ!?と大学に入ったばかりで純なオグラ少年は、いたく衝撃を受けたのでありました。

何が言いたいかというと、創価学会の幹部は、テクノクラートじゃダメってことよ。

たまに短気でクチの悪いオグラは、お前ら、脳味噌ついてんだろ!!って誰かをdisることがあるけど、そういうことだよ。

無疑曰信(むぎわっしん)=「疑(うたが)い無(な)きを信(しん)と曰(い)う」は非常に大事なことではあるけど、ここでの「無疑」というのは、最初からまったく疑わない、ということではないのよ。

ここに無疑曰信に関しての池田先生のご指導をブログで紹介してくださってる方がいらっしゃったので、ぜひご確認くださいませ。

創価ルネサンスの思想の旅「無疑曰信と思索」
http://sokasiso.livedoor.blog/archives/7669776.html

なかなか本題に入れないので、続きは後ほど!笑

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