「くじ引き民主主義」って知ってますか

あなたは「くじ引き民主主義」って知ってますか。僕も実はよくは知らないのですが。欧州で始まってる、間接民主主義の限界を補完する、直接民主主義的な政治手法の試みのことをいうらしく。

最初に「くじ引き民主主義」という言葉を聞いたとき、「くじ引き」という言葉と「民主主義」という言葉の組み合わせのギャップにギョッとしたんだけど、話を聞いてみたら得心がいった。

要するに、いまの「民主主義」の代表的な手法である「選挙」によって選ばれる議員たちというのは、有権者の、国民の、住民の正当なる代表なのだろうか?という大いなる疑問から、この「くじ引き民主主義」は始まっているようで。

日本のことを考えても、納得がいきますよね。そもそも日本は選挙に出るときに用意しなきゃいけない預託金が、諸外国に比べても非常に高額であることが問題視されてるけど、選挙に立候補するということが一般peopleにとっては縁遠いことだというのは誰に聞いても首肯されると思われ。僕の高校の友だちに医者になった人が何人かいるけど、その多くは自分の親も医者だったりするわけで。私立大学の医学部の学費が何千万とか聞いて、そんなの払えるわけないじゃん、とか思ってたけど、医者になってしまえば何年かで返済できる額だというのは社会人になってずっと経ってからわかることで。

そういう意味では医者になるのには親が医者というのは圧倒的に有利なわけで。

政治家でも同じことがいえるよね。これは半分以上は有権者の責任だと思うんだけど、日本の政権与党でも、議員のうちけっこうな割合の者が二世三世四世の世襲議員だったりするわけで。

人間って不思議なことに、知らず知らずのうちに王様になる者と奴隷になる者が自然に分かれていってしまうというね。

くじ引き民主主義というのは、その陥穽を乗り越えるもので。最初聞くとギョッとするけど、よく話を聞いてみると納得。たとえていえば日本でも始まった陪審員みたいな感じなのかなと。公平なはずの選挙で選ばれた議員たちが、どういうわけか、結果的には住民の正当なる代表と言いづらいくらい偏った人たちで構成されている、その現実をアレしようという試みであるわけで。

僕がずっと政治に直接民主主義的な手法を導入しようとずっと言ってることと軌を一にするというか、ひとつの大切な取り組みだと思われ。

日本でも、いますぐでもできるとおもうんだけどね。法律に触れないカタチで導入する地方自治体とか、ないのかな。中央の官庁がなんか政策を推し進めるとき、アリバイ的な感じでパブリックコメントを募ったりしてるけど、ああいうアリバイ的なヤツじゃなくて、本当に真剣に住民の代表の声に耳を傾けるということが、あってしかるべきだと思うんだよな。

そこで問題になるのは、本当にくじ引きで決めて、まともに議論に参加できる人たちが集い合えるのか、という点。それはたしかに心配しなきゃいけない点かもしれないけど、くじ引きで選ばれた市民の代表であっても、議論を進める中で、議論をまとめていける人と、自分の意見を出すので精一杯の人と、分かれるんだと思う。それはどうしても仕方のないこと。僕が毎日、何時間も時間を費やしてるtwitterだって、そうだよね。別に誰か(国家なり、運営企業なり)が点数をつけてるわけじゃなくても、傾聴に値する意見を出し続ける人の声には、みんな耳を傾けるよね。って言葉が完全にダブってますね。恥ずかしい。でも、それはそれでいいと思う。いいと思うというか、自然なことだと思うんだよな。

一部の人が秘密裡に決めたことって、やっぱりどっか、おかしいよね。

そう、最近このテーマにふさわしい事件が、いくつかあったよね。

ひとつは大阪市長に対して現役の小学校の校長先生が異議を申し立てたって話。あれもスカッとする事件だよね。もうひとつは、なんだっけ。自民党のLGBTを議題にした党内の会合で、ものすごい差別的な言辞が飛び交ったという話、かな。

山谷とか、栃木の簗とか、ものすごい差別主義の議員がウジャウジャいるのね、自民党には。でもそれって、日本の国民のある意味、反映であるともいえるわけで。

twitterとかでも、自民党よ、滅びろ、みたいなことをいってる人がたくさんいるけど、自民党ってある意味、日本人の忠実なる反映なわけですよ。なので、自民党だけが滅びるということは、あり得ないわけで。昔読んだ小説に、がん細胞っていうのは自分自身なんだ、だからがん細胞を退治するには自分が死ぬのが手っ取り早い、みたいなことが書いてあって。そうなのかぁ、と思った記憶がある。宮本輝の『錦繍』だったかな。

これはまだまだ習作なので、SNSとかにはリンクせずに、本の感想とかを盛り込んだうえで完成ということにしましょうかね。とかいいながら、インスタのストーリーにはリンク?を貼ってしまいましたけど。

いま僕は53歳なんだけど、これから60へ向かう年月が、たぶん自分の人生の中でもっとも充実した月日になる気がするんですよね。それも、55までのあと2年ほどが、いちばん盛り上がる気がして。

いかん、明日も4時半起きで聖教新聞の配達をするので、そろそろ寝ますね。

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