【政策提言】日本の高速道路のETCをもっと使いやすくせよ

あたしが日本の高速道路のETCが時代遅れじゃね?ってずっと思ってた、その思いが確信に変わったのは、ある記事を読んでから。それがこの記事。

ぜひご一読をおすすめする。

簡単に内容を紹介すると、オーストラリアで高速道路を通行するには、e-TAGっていう感知式の車載器を搭載する必要があるって話。

日本の料金所みたいなゲートはありません。意識することなく、スピードを落とす必要もなく、e-TAGに感知させるだけ。

料金の支払い方法は、いろいろ選べます。

もしもe-TAGを搭載していないクルマが通ったら、監視カメラがちゃんとナンバーをチェックし、しかるべき人に通知が行きます。

これでよくね?笑

日本のETCとの違いに、愕然とする。

日本のETCは、料金所がゲート式になっていてスピードを落とさないといけない。

支払いはクレジットカードと紐付けられた専用のETCカードが必要で、期限切れだとゲートが開かない。笑

クレジットカードを作れない人に対しては、パーソナルETCカードというのがある。あらかじめ何万円かを預けておき(デポジット制)、その80%の金額が通行料金の使用可能な上限。それを過ぎると警告のメールが届く。いくらかの金額をチャージするとかは不可能。上限の金額を引き上げたければデポジットの金額を増やすしかない。笑

どうですか。いますぐオーストラリアのe-TAG方式に、変えたくなりませんか。

前回の都知事選で小池百合子都知事は、首都高から料金所を撤廃するみたいなことを言っていたように記憶している。

だけど先日発表されたのは、まったくその逆で、首都高にETC専用の料金所を設けるという話。

げげっ、どう考えても改悪じゃん。

どうして日本のシステムって、こうやって利用者を使いにくいシステムに追い込んでいくのだろう。

そこからあふれる人がいることに、どうしてもっと真剣に向き合わないんだろう。

僕はブラックリストに5年ほど載っててクレジットカードが作れず、上に書いた、死ぬほど使いにくいパーソナルETCカードのお世話になってて屈辱的な気分を味わいながら、いろんなことを考えてた。

クレジットカードが作れない人でもETCカードを使えるようにするには、どうしたらいいんだろうと。

ひとつ思いついたのは、携帯の料金と紐付けるっていうヤツ。

僕はずっとauなんだけど、au PAYってヤツがあってね。まあ1か月限定のキャッシングができたりするわけですよ。最近はauユーザー以外にも開放されていると聞くけど。他社も似たような取り組みをしていることだろう。携帯だけじゃなく他にも儲け口を探してるからね。

これを高速道路の通行料金の支払いに応用したらどうだろうと。auユーザーは翌月とかにauの携帯料金と一緒にau PAYの利用料金を支払う。携帯が止まったら死活問題だから、みんな必死に支払おうと頑張る。なんかこれでよくね?と思うんですよ。ETCをこのau PAYのしくみに紐付ければ、高速料金の取りっぱぐれもぐっと減るだろうし。

あ、そうそう、あたしがETCシステムの使いづらさをツイートしたら、その意図をまったく理解しない人から、こんなクソリプを頂戴した。

なんだかねぇ。笑

日本人の悪いクセだと思うんだけど、いまあるシステムをありがたく使わせていただく、この気持ちも大事だと思うんだよ。いまのETCだって、それなりにみんな大して不満もなく使ってるわけだし。でも、みんなを幸せにしようと思う側からしたら、このシステムでこぼれ落ちてる人はいるんじゃないか、ツラい思いをしてる人はいるんじゃないか、困ってる人はいるんじゃないか、って考え続けるのが大事じゃないかと思うんだよねぇ。

そんなときに思い出すのが、『新・人間革命』第6巻の「加速」の章。

(引用ここから)

晴れやかに、四国本部の落成の式典が終了した後、山本伸一は、四国の幹部と懇談した。
 その席で彼は尋ねた。
 「この会館に来るのに、最も遠い地域の人だと、何時間ぐらいかかりますか」
 幹部の一人が答えた。
 「そうですね。愛媛の宇和島などですと、急行でも、五、六時間はかかりますね。
 もし、交通費を節約し、各駅停車を利用すれば、九時間ぐらいになります」
 既に学会は二百五十万世帯を突破していただけに、最低、各県に一、二の会館は必要であった。
 しかし、当時は、大客殿の建立をはじめ、寺院の建設など、宗門の整備を最優先しており、各県に一つの小さな会館を建てることさえ、容易ではなかったのである。
 伸一は言った。
 「そうか。そんなにかかるのか。みんなに申し訳ないな。
 でも、これから、四国の各地に会館を建てていくし、この何倍もの大きな会館もつくるから、しばらくは、我慢してもらってください」
 四国の婦人部の幹部の一人が言った。
 「こんなに立派な会館をつくっていただいたのですから、もう、私たちは、これで十分です」
 すると、伸一は、彼女に語った。
 「求道心ということからいえば、ここまで来るのが遠いからといって、文句など言ってはならないし、また、会館ができたことへの感謝の心は大切です。それが自身の功徳、福運になるからです。
 しかし、それはそれとして、私は、みんなの苦労を、できる限り軽減したいと思っている。それが指導者の姿勢です。責務です。
 幹部というのは、常に、一番苦しんでいる人、大変な思いをしている人のことを念頭において、物事を考えなくてはならない。
 つまり、何時間もかかってやって来る人の、負担を減らすにはどうすればよいのか、あるいは、いかにすれば、更に新しい会館を建設できるのかを、考えていくことです。
 そうでないと、幹部は、みんなから浮き上がり、最も大切な会員と心が離れてしまう。
 また、私とも呼吸を合わせていただきたい。
 私と呼吸を合わせていくには、広宣流布の全責任を担おうとする、強い一念をもつことです。そして、苦労している同志のことを、いつも気遣い、励まし、勇気づけ、身を粉にして、奉仕していくことです。
 わが同志を守り抜くことが、私の精神だからです」

(引用おわり)

あまりにも当たり前のことなんだけどさ、自分の利益を追求することより、庶民の暮らしやすさを守ることのほうが数億倍、大事だと思うわけですよ。

まずは日本中の政治家に、そう思っていただかないことには。

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