【短期集中連載】創価学会「支部長」の僕が公明党支援をやめた理由 -07- 〜夕張炭労事件の今日的な意義を考える〜

いきなりですが、みなさんは「夕張炭労事件」ってご存じですか。ほとんどの方はご存じないですよね。逆に、創価学会のそれなりの活動家ならば誰でも知っている事件です。

1957年(昭和32年)、当時、泣く子も黙る勢いだった北海道の炭鉱の労組が、創価学会が選挙に候補者を立てたことで、自分たちの支援する候補者への得票が減ったと騒ぎ、創価学会員を不当に弾圧した事件。池田大作先生の著された小説「人間革命」第11巻に詳しいです。

今回、この文章を認めるにあたり、何年かぶりに第11巻を本棚から取り出して読んでみました。

(中略)

船橋文化会館でのオグラの処分を申し渡す12/7「懇談」で、例の男たちに告げるのを忘れていたのが、まさにこのことで。

「懇談」の少し前に自宅で南無妙法蓮華経のお題目をあげていて、このことに、ああ、と気づきました。

夕張炭労事件から64年を経て、創価学会は当時の夕張炭労と、まったく同じになってしまったなと。

もちろん僕は当時の夕張炭労の威張りっぷりを直接見たわけではありませんが、イメージとしてはテーブルの上に胡坐で座り込み、床に正座させられた僕らに対して腕組みをして上から見下ろし、一方的に決定事項を突きつけるような調子で自分らの言いたいことを一方的にまくし立て。こちらがどんなに反論しても、まったく聞く耳を持たず。権力者にありがちなことですが。

いまの船橋創価学会の、僕の住む地元の責任者の男と、船橋全体と北総まで含めた広大な地域の最高責任者の男の、僕に対しての態度、姿勢、言ってること、姿、その他は、64年前の夕張炭労の幹部とまったく同じだと思われ。

つまり、国民の信教の自由、政治結社の自由、政党支援の自由は憲法で保障されているのに、自分たちの組織の権勢が脅かされるから、という一点で、なんの罪もない一個人を不当に虐げ、吊し上げ、弾圧し。

前にも同じことを書いたけど、彼らは自分たちのやってることの意味をまったく理解していない。こいつむかつく、と下級生を寄ってたかってボコボコにしてるいじめっ子と、なにひとつ変わらない。

それを信仰という名の下に行っているので、あまりにもタチが悪く、始末に負えないわけで。

あまり厳しいことは言いたくないけど、僕を不当に虐げたヤツらは、永遠に地獄の責め苦に遭い続けるだろう。だって彼らは敬虔なる創価の法華経の行者の行き足を遮り、亡き者にしようとしたのだから。このことにより、世界広宣流布がどれだけ遅れることか。彼らのなした所業は、まさに万死に値する愚劣な行為なのであり。

もはや、悲しいというよりも、あきれる。ひたすら、あきれる。

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