【短期集中連載】創価学会「支部長」オグラ、 公明支援やめるってよ -19- 〜同志が増えてきた! そして仏法はどこまでいっても道理なのだ~

今日、うれしいことに、ひとつ前のエントリー聖教新聞の民音「ミラノ・スカラ座」の記事を読んで創価学会の公明支援強制に思うこと。)に、創価学会女性部の方からコメントをいただいた! 創価学会の公明党支援に疑問を持ってきたが、幹部の人も同じことを思っている人がいて安心しました、みたいな。

それと、ある書籍をkindleで読みながらうつらうつらしてたらmessengerの着信音が鳴り。地元組織の若い壮年部の方からで。僕の書いてることを読んでもらって、なんとなく僕の言いたいことがわかってくれてきたみたい。嬉しい限り。事情通である壮年部の先輩の●●さんに聞いてごらん。あの方は仕事柄、全部わかってるから、って伝えた。あ、そうそう、僕が先日、Facebookに転載してる創価学会公明党批判の文章にもコメントをくださいよ、っていって、彼がそれを、ちょっと無理、っていってた理由を説明してくれた。まあ、ありがちなことだけど、組織の幹部に「オグラの文章にコメントなんかつけるんじゃねぇ」って電話がかかってきたんだって。しみじみと、ありがちだねぇ。笑

「彼ら」が言ってることは、ひとつしかない。わざわざ書かなくてもご理解いただけてるかと思いますが、要するに「組織に逆らうな」。これだけ。「組織の論理に刃向かうな」。以上、終わり。

「仏法は道理」って、日蓮大聖人の御書にあるんでしたっけ。それとも池田先生のご指導だったか。

でも、どっちでもいいけど、仏法は道理なんだよ。この意味、みんなわかってるのかなぁ。僕はかつて、創価学会の「支部長」という役職を務めていたことがある。「座談会」という会合が毎月あって、参加させていただくのだが、仏法は道理、という言葉の意味を、自分なりに説明することがあり。

坂道にボールを置いたら、転がっていきますよね。洗濯物を干せば、そのうち乾く。仏法の「功徳」というのは、こういうことなんですよ。

って話すと、みんなキツネにつままれたような顔をしてる。

釈迦は五時八教といって何十年もの間、教えを説き続けたと言われる。だけど、釈迦の説法が同じように尊ばれているかというと、それは違う。いちばん最後に説かれた法華経がいちばん優れているとされる。まあ、本当は法華経をはじめとした大乗仏教は釈迦滅後、数百年を経て成立したと言われているのだが。

まあ、それでも、釈迦の説法でも、重要性に違いがあるのは自明なことで。

創価学会の仏法を実践するうえでも、このことって同じように大事だと思われ。

創価学会の指導にも、いろんな次元の指導がある。

それを、どう整理するか。自分の中で。

ちょっと話は飛ぶけど、よく創価学会の幹部が、話す話に、「日蓮大聖人、池田先生と自分は直結。間に誰かを入れてはいけない」というのがある。

これって本質的には、池田先生のご指導と、いまの創価学会の指導性が異なっていたら、もっとハッキリ書くと、いまの創価学会の指導性が、永遠の師匠である池田先生のご指導からズレていたら、どちらを優先すべきか、という話で。

僕なんかからすると当たり前の話なんだけど、どんな言説、文言にも、おのずと寿命がある。150年前に社会で当然と思われていたことが、いまの令和の時代にそのまま通用するかっていったら、たぶん99%くらいは、あかんやろ、と思われ。まあもちろん数え方にも依るけど。

なんの話だっけ。「彼ら」の唯一いう「組織に逆らうな」というのは、ヤクザといっしょなんだよ。わかってるか? 船橋北総の責任者のお前と、船橋南東部の責任者のお前。

もしも自分がアタマ悪いと思うのであれば、死ぬほど題目をあげて、うちに詫びにこい。まあ、今世では無理かもしらん。来世は楽しい昆虫に生まれてきて、いろいろ考えるがいい。

それはそれとして、いまこれ書いてたら、また新しいコメントが届いた! ひとつ前の映画「香川1区」の感想に対して。うれしいなあ。同志は間違いなく、着実に増えている。

何度も同じことを書くけど、自民党の亀井とか野中とかに恫喝され、いやいや公明党が自民党との連立政権に参画してから早くも20年が過ぎた。公明党創価学会は組織内の数々の不祥事を自民党=国家権力に握られ、にっちもさっちも行かなくなっている。

だから公明党は、生活に密着した政策では精一杯、頑張っているように見せてるけど、国家の骨格を決めるような政治経済外交防衛などの政策に関しては、驚くほど自民党にモノを申せなくなってる。

・憲法第9条を含めた改憲に、明確に公明党がNoと言えないのはなぜだ。

・腐れきったアベ自民の岸田が進める敵基地攻撃能力について記者から説明されると公明・山口代表がとたんに機嫌が悪くなるのはなぜだ。

・スリランカから日本が大好きで来てくれた女性、ウィシュマさんが名古屋入管に殺された事件をはじめとして、入管で行われている人権侵害に公明議員がほとんど口を開かないのはなぜだ。

・アベ友の山口敬之に強姦された伊藤詩織さんの事件に関して、公明党の議員、とくに女性議員がいまだにダンマリを続けているのはなぜだ。

・いま公明党の幹事長を務めている●●が国交大臣をやってたとき、森友学園に国有地をただみたいな値段で払い下げをする際の事由となった地面に埋められてたゴミが「あった」と嘘をついたのはなぜだ。

・記者の参加も限定し、受け付ける質問は、事前に持ってこさせ、それ以外の面倒くさそうな記者には絶対に質問させない、とても民主主義国家とは思えない官邸の首相会見に対し、公明議員がひとことも文句を言わないのはなぜだ。

・2年か3年くらい前の夏、これからは公明党は国会議員も地方議員も党勢拡大のためにSNSを最大限、活用していきましょう!と言っておきながら、山口代表が2020年の夏以降twitterをまったく更新していないのは、なぜだ。笑

これも『法華経の智慧』で池田先生が教えてくれたことだけど、戸田先生は交通機関の発達は、広宣流布が近いことの証明だと話されていたという。

この池田先生のご指導を敷衍して考えるならば、twitterをはじめとしたSNSの普及は、やはり広宣流布の実現が近い証左に他ならない。だから10年以上前からtwitterをやってた私からすると、創価学会の幹部や活動家をやっていながらtwitterをやってない? あんたバカなの? と心の底から思うね。

そしてあえていえば、実名でやることを推奨するね。だってみんなFacebookは実名でできてるじゃん。

そんな話を2021年12月7日の船橋文化会館での「懇談」の席で話したら、うちにはうちのやり方がある、みたいな無意味な返答をもらったな。そのときはとっさにそういってしまったけど、あとからよく考えたら、ちょっと違ってたな、オグラに対して修正しよう、とか思わないのかな。

最近twitterで知り合った方がいらして、その方が、僕がずっと前から思ってることを、ツイートに何度も書かれてる。たぶん、今回のことを悩みに悩んだ者だけが達することのできる、結論なんだと思う。僕もまったく同じことをずっと考えていたので。

ひとことでいうと、池田先生も人間だから、間違えることもある。ってこと。以上、終わり。

話がだんだんまとまってきたけど、仏法は道理なんだよ。わかるかなぁ。組織の幹部の指示どおり公明支援の戦いを死に物狂いでやっても、公明党がクズばっかりで政策も自民党の下駄の雪で日本を不幸な方向に向かわせていくモノばっかりだったら、功徳どころか罰をもらうと思う。でも、そこには情状酌量というか、時間差というか、命令を素直に聞いた一兵卒、オレオレ詐欺で言うところの「出し子」には罪はそんなに重くないと思われ。僕は年末の同志との飲み会では「日顕の御本尊」にたとえたけどね。創価学会員以外は、誰もわかんないよね。こんな喩え。笑

昔はみんな日顕の書写した御本尊を拝んでたわけだ。だけどあるとき、日顕はダメだ、と烙印を押されてから、創価学会は、別の、もっといい御本尊を流布し始めたわけ。日顕の御本尊を正しいと思って手を合わせてた純真な創価学会メンバーの祈りは、ムダだったのでしょうか。僕はそうは思わない。なぜかそのときだけは、日顕の御本尊がヘボでも、創価学会メンバーの祈りは間違いなく宇宙生命に届いていたと思う。信仰って、そういうもんなんだよ。

このままアップします。あとでガンガン直します。あしからず。

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