畠山理仁著『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』読んだ

畠山理仁(はたけやまみちよし)さんが、供託金についてツイートされてたのでコメントを返したら、『黙殺』を読んでもらえると嬉しい、みたいなレスをもらったので、さっそく読んでみた。

Amazonのkindle本を買って、一気に読みました。紙の本と迷ったのですが、いますぐ読みたかったのと、寝っ転がって読めるのでkindleにしました。正式名称は『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』。

けっこうどうでもいい話かもしれませんが、iPhoneからkindle本を買うのって一苦労で。ふだんはAmazonのアプリから買い物をしてるんだけど、配信動画とかkindle本とかはアプリからは買えない。なぜか。怖ーいAppleが3割もの“通行税”を取ってるから。バカらしすぎませんか。

なのでiPhoneのsafariからAmazonにつないで、と思いきや、つながった瞬間、アプリに飛ばされるので意味なし芳一。いろいろ試した挙げ句、Google chromeのプライベートモードでつなぐと、そのままAmazonのウェブからkindle本を買えることがわかった。

で、ソッコー読んでみた。

めちゃめちゃおもしろかった。ここだけの話、先に読んだ『コロナ時代の漫遊記』よりもずっとおもしろかった。それはなぜかというと、簡単な話で、広く浅くか、深く狭くか、ってこと。『黙殺』のほうは、マック赤坂をはじめとした、東京都知事選の候補者を中心に描いてるから。

『漫遊記』を読んだときは、畠山さんが候補者をえらい持ち上げてるのをみて、なんでそんなに持ち上げてるのん??ってかなり疑問を覚えた。だって、「泡沫候補」と呼ばれる候補者って、かなりヤバい、イッちゃってる人がほとんどで、カネがうなるほど余ってるので、いわゆる“余技”で選挙に出てるんでしょ、どうせ当選するわけもないのに、と思ってた。日本のバカ高い供託金もあって。

でも、『黙殺』を読んで、そうではない、そういう人ばかりではない、ということを知った。

ただやはり、全体的にとても不思議な人たちという印象を持った。ちょっと変わった、ちょっと変な、というと怒られてしまうけど、なかなか一言で感想を述べるのは難しい。穏当な言葉でいうと「非常にキャラが濃い」方々、というのは言えると思う。読んだことないけどセルバンテスの小説のドン・キホーテのような、といったら失礼か。われわれ一般市民の政治との関わり方も含めて、これからも考え続けていこうと思う。

取材してる畠山さんが選挙を麻薬のようといってるくらいだから立候補する人たちにとってはそれ以上なんでしょうね。まさに選挙中毒。立候補中毒。

あとがきがいくつもあって、いろいろと勉強になった。とくにいちばん最後の文庫版あとがきはうならされた。ようやっと港区議選に当選したマック赤坂を、畠山さんは手放しで称えたりはしない。あなたは本当にそれでいいのか、とある意味つきはなす。このへんがジャーナリスト畠山理仁の面目躍如だなぁ。どの候補にも肩入れしない。ジャーナリストたるもの、すべての候補者と等距離で付き合う。読んでいて、そこまでしなくても、と思うことがいくつもあった。でもジャーナリストとして、きっと正しい姿勢なんだろうな。

あと、twitterでもそうだけど、畠山さんのすばらしいところはカッコをつけないところ。この仕事だけじゃ食っていけない時期があって、みたいな記述がいくつも出てくる。なんかそういう赤裸々な開陳に、僕はグッとくるのよね。ああ、この人の言うことは信じられるなって。基本、ジャーナリストってカッコつけしいが多いじゃん。別に人がどう振る舞おうと自由だけど、そういうのって透けて見えるからさ。僕は自分もそうだけどカッコをつけないのが最大にかっこいいと思ってるからね。

なんの話だっけ。あ、そうそう、これは畠山さんに望むのは違うのかもしれないけど、畠山さんは20年以上、選挙の報道に携わってきてアレなんだけど、僕なんかから言わせれば、もういまの日本の選挙制度の全体が、完全に時代遅れになってると思われ。ポスターひとつ取ってみても。公費でポスター代を負担してるとかいうのなら、ポスターを貼るのも負担してくれよと無頼系候補からしたら思うよね。

供託金のイヨーな高さも、畠山さんは、既存の政党の連中が、自分たちに決して有利にならない『供託金を下げよう」なんて話に乗るわけがない、って決めつけちゃってるけど、本当にそうなの?と僕は思ったりもする。

無頼系候補の切ない戦いを見てると、既存政党にすり寄って立候補を勝ち取ったほうがよくね?って率直に言って思うけど、たぶんきっと、そうじゃないんだろうね。既存政党の枠組みに飽き足らないから無頼系になるのだろうと思われ。その無頼系の方々ばっかり取材してる畠山さんも、かなり異端ともいえ。ジャーナリストとしては死ぬほど儲かることはないんだろうなと思ったりもする。もちろん儲けることが第一の目的ではないことは重々、承知してるわけだけど。

話を元に戻すと、供託金のイヨーな高額さとか、選挙への立候補のハードルの高さとか、投票率の低さとか、僕がこないだまで支援していた公明党も含め、これでいい、いまのままが自分らにとって都合がいい、と思ってるんだろうね。この本を読んで、諸外国には、選挙の投票を義務として、行かない人には罰金を、行った人にはソーセージのホットドッグをくれる国もあるということを知った。たしか、オーストラリアだったかな。オーストラリアって、たしかもともとは英国の罪人が作った国だよね。だからいろんなことを理想主義に基づいて設計できたんじゃないかな。日本みたいな昔からのしがらみに雁字搦め(がんじがらめ)にされた国の国民からすると、うらやましいことこの上ないけどな。

なにがいいたいかというと、ネットとかITの力を一気に導入して、古くさい慣習とかを宿便のように、大便器にへばりつくウンコのように、一気に流してしまおうと思うわけ。だってそうじゃん。もっとこの国は身軽に、フットワーク軽く、時代に合わせて変わっていかないと、戦艦大和のようにあっという間に沈没しちまいますぜ、奥さん。

ま、日本列島が海の底に沈むことはそうないと思うけど、そうだなあ、日本全体がもっともっと貧しくなって、あっという間に中国と韓国の植民地になっちゃうとかね。あえてロシアは加えなかったけど。ま、あたしとしたら、別にそれでもよくね?と思うんだけどね。

話を元に戻すんだけど、ITの力を使って、言論の力で、情熱をしっかりと見極めて、この人を議会に送りたい、という人を見極めたいよね。

もっといえば、ずっと前からあたしは言ってるけど、いまの日本の議会というのも、もうオワコンなのよ。もっともっと、ふつうの一般peopleの意見を、議論に取り入れるべきなのよ。バカみたいじゃん、一部の選ばれた議員だけがエラそうに重要なことを自分らだけで決めてるって。そう思わん? おれは心の底からそう思うけどな。

畠山さんの書籍を読んでて不満に思うのは、って仕方ないことなんだけど、“当選前”の立候補者だけを追っていて、当選した後のことはほとんど書かれてない。まあ桝添がある無頼系候補の政策を採用したとか、小池百合子が公約を全然果たしてないとか、ちょっとだけ書いてあったけど。

供託金だって、そうだよね。ネットで有象無象の“立候補者”を募り、そこでガンガン論争をさせて、どんどん絞っていく、みたいなのが理想なんじゃね、と心の底から思うよね。そしたら供託金なんか要らないじゃん。ネット空間なんて限りなく無料みたいなもんなんだから。この本でもインターネッ党の政策として紹介されてたかな。誰だってそんなこと思いつくよね。問題はそれをどう具体的に実現させていくか、ということだよね。わかってますよ。はい。笑

インターネッ党があっさりポシャったのは残念としか。

なんだか、いつものように話がとっ散らかったけど。

追記だけど、「あとがき」でノブレス・オブリージュについて書かれていることに感動した。

畠山さんは、無頼系候補にこの言葉を重ねている。「位 高ければ 努め 多し」という訳語も添えられている。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)については僕の人生の師匠、池田大作先生に、何度も何度も教えていただいた。僕なりの解釈を加えるとしたら、人間として生まれてきた我々には、果たすべき使命がある、ということ。自分のエゴばっかりでカネ儲けに執着したり、人を傷つけたり貶めたりして自分ばっかりのし上がろう、っていうのは下の下の生き方だよね。それはなるべく早く、この地球の共通認識として弘めたいな。

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