公明党よ、目を覚ませ!

だんだん確信に変わってきたんだけど、いまの公明党は党の創立者の池田大作先生の教えから、だんだん離れていっている気がする。

前から、なんとなく、そう感じていたのだが、だんだん確信に変わりつつある。

取り急ぎ、みなさまには池田先生がブラジルのジャーナリストに、なぜ日本で公明党を設立したかを必死に説明している場面を、読んでいただこう。

これは1966年3月のこと。僕が生まれる1年半前だ。

(以下、引用。『新・人間革命』第11巻 暁光の章より)

 夢に見たリオデジャネイロに、山本伸一が到着した十日は、あいにく小雨であったが、翌十一日は次第に晴れ、やがて、まばゆい夏の太陽が輝き始めた。
 この日、伸一は、リオの街を視察することになっていた。
 ところが、出発の直前、ブラジルのある著名なジャーナリストが、「山本会長にインタビューをしたい」と言って、ホテルにやって来たのである。
 このジャーナリストは、以前、学会を批判するリポートを、ブラジルの雑誌に発表したが、その内容には多くの誤りがあった。
 最初に、同行の泉田弘と十条潔が応対した。
 二人の話では、会った印象からすると、真面目に真実を探ろうとしている様子であるという。
 「お会いしよう。学会への偏見と誤解を正しておかなければならない。
 会って話せば、誤解はとける。そうすれば、学会への不安や、無用な警戒心はなくなるし、信頼も生まれる。だから、積極的に、人と会っていくことだ」
 インタビューが始まった。通訳を通しての語らいである。
 伸一は、丁重にあいさつをしたあと、にこやかに笑みを浮かべて言った。
 「どんなことでも聞いてください。私どもは、学会の真実を知っていただくために、なんでもお話しするつもりでおります。
 ところで、最初に、私の方から、一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
 ジャーナリストは、いぶかしそうな目で伸一を見ると、「どうぞ」と答えた。
 「以前、あなたは、学会のリポートを書いておられますが、あれは、いかなる情報をもとにして、まとめられたのでしょうか。
 あそこに書かれていることは、事実とは、著しくかけ離れています。
 あのリポートを読んで、学会のことを誤解してしまった人びとも少なくありません。真実を報道することこそ、マスコミの使命ではないでしょうか」
 ジャーナリストは、驚きの色を浮かべて尋ねた。
 「それほど事実と異なっていましたか」
 泉田が、勢い込んで語り始めた。
 「相当、間違いがありますよ。たとえば、牧口初代会長が、″戦犯″として捕らえられて死んだとありましたが、これはとんでもないことです。
 日本の軍部政府は、国家神道を精神の支柱にして、戦争を遂行しましたが、それに従わなかったために、弾圧を受け、殉教された方が牧口先生なんですよ」
 泉田弘は、早口で、まくし立てるように語っていった。しかし、彼の人柄か、それがユーモラスな響きをもっていた。
 「軍部と戦われ、そのために獄死された牧口先生を、″戦犯″にしてしまっている。これじゃあ、あべこべだ。
 いくらブラジルが南半球にあって、日本と反対だからといっても、ここまでやることはない。
 このほかにも、大変な間違いが、まだまだ、たくさんあるんです」
 ジャーナリストは、山本伸一に視線を注いだ。
 「この人の言っていることは、本当ですか」
 「もちろん、本当のことです」
 伸一が答えると、彼は、沈痛な顔で語った。
 「もし、そうなら、私は大変な過ちを犯してしまったことになります。
 私は、創価学会のことをよく知っているという、ブラジルの日系の方々から伺ったのです。
 ただし、その方たちは、日本の宗教の関係者ではありますが、いずれも創価学会のメンバーではありませんでした。
 また、その人たちから借りた、創価学会に関する書籍や、アメリカの雑誌の創価学会特集などを参考にしました。
 できることならば、日本に行って、直接、皆さんにインタビューして、記事をまとめたかったのですが、それは、時間的に不可能でした。
 そこで、今回、山本会長が、リオに来られると聞きましたので、ぜひ、お話を伺おうと、こうしてお訪ねした次第です。
 しかし、私のリポートに間違いがあり、それによって、ご迷惑をおかけしたことは、大変に申し訳ありません。
 今日のインタビューをもとに、またリポートを書いて、ブラジルの人びとに、創価学会の本当の姿を伝えたいと思います」
 伸一は、非は非として認め、謝罪する、このジャーナリストの姿勢に謙虚さを感じ、好感をいだいた。
 「間違いは、誰にでもあるものです。おわかりいただいてよかった。
 さあ、始めましょう」
 インタビューは、創価学会の歴史に始まり、その目的と理念など多岐にわたったが、このジャーナリストが、最も関心をもっていたのが、公明党と学会の関係であった。
 質問の裏には、学会は世界各国で、政治支配を目論んでいるのではないかという、疑問があったようだ。
 山本伸一に、ジャーナリストは尋ねた。
 「では、宗教団体である創価学会が、なぜ政界に進出したのか、お伺いしたいと思います」
 伸一は、大きく頷きながら答えた。
 「宗教は、なんのためにあるのでしょうか。人びとに幸福をもたらすためです。世界の平和を築くためです。よりよい社会を建設するためです――それが本来、宗教が果たさなければならない使命です。
 したがって、もし、宗教が、人びとの苦悩や社会の現実に対して目を閉ざし、無関心を決め込んでいるなら、それは、死んだ宗教といわざるをえません。
 さて、仏法の精髄である法華経では、慈悲の道を教えるとともに、万人に仏の生命があることを示し、生命の尊厳と平等を説いています。
 創価学会は、この仏法の哲理を、人間の営みである文化や教育など、あらゆる分野で生かし、人びとの幸福と平和に寄与することを目的としております。
 その考えに基づき、私たちは、政界にもメンバーを送り、さらに、政党をつくったんです」
 畳みかけるように、ジャーナリストは尋ねた。
 「すると、創価学会は、日蓮仏法と政治の一体化、つまり、政教一致をめざしているということですか」
 「いいえ、違います。政治には、確固とした政治哲学、政治理念が必要です。それがなければ、根無し草のように、ただ状況に流されるだけの政治になり、民衆は動揺し、不幸になってしまう。
 私たちは、仏法で説く慈悲や、生命の尊厳の哲理を理念とし、″根底″とした政治の実現をめざして、公明党をつくりました。
 だが、それは、宗教を直接、政治の世界に持ち込むこととは違います。
 公明党は、広く国民のために寄与することを目的とした政党であり、党と学会とは、運営面などでも、一線を画しております。
 公明党も、創価学会も、平和と人びとの幸福を実現するという根本目的は同じですが、政治と宗教とは役割が異なります。
 宗教は人間の精神の大地を耕すものです。そして、その広大な大地の上に、芽吹き、花開き、結実する草木が、政治も含め、広い意味での文化です。
 私たちは、精神の土壌を耕し、政党という種子を植えました。
 今後も、全力で応援はしますが、それがいかに育ち、どんな花を咲かせ、実をつけるかは、草木自体に任せるしかありません」
 重ねて、ジャーナリストが、鋭く質問した。
 「今までのお話からしますと、宗教は、必然的に、政治に関わらざるをえないということになるように思えますが、ブラジルでも政党をつくる計画があるのでしょうか」
 これが、彼の一番聞きたかった問題のようだ。
 山本伸一は、微笑みながら言った。
 「私は、信仰上のことでしたら、アドバイスもしますが、それぞれの国にあって、政治にどう対応していくかということは、その国のメンバーが話し合って決めるべき問題です。
 日本人である私が決定し、指示するようなことではないし、また、そんなことがあってはならないというのが、私の考え方です。
 そのうえで、個人的な感想を申し上げると、ブラジルをはじめ、各国にあっては、政党結成の必要は、全くないと思っています」
 すかさず、次の問いが返ってきた。
 「さきほど、宗教は、よりよい社会をつくるためにあると言われましたね。それなのに、なぜ各国で政党をつくる必要はないと思われるのですか」
 さらに踏み込んだ質問であった。
 「よき時代をつくり上げる、また、よい社会をつくることは、仏法者の社会的使命です。また、政治という問題が、人びとの生活に深く関わり、社会の在り方を決定づける重要な要素であることも確かです。
 しかし、だからといって、必ずしも政党を結成するなど、教団として、まとまって何かを行うということではありません。
 創価学会は、各人が信仰によって、それぞれの人生を充実させ、完成させ、勝利していくことを指標としています。つまり、幸福を創造する人格をつくることであり、これを人間革命といいます。
 そして、人間として幸福に生きていこうとするならば、よりよい社会を建設していかなければならない。
 そのために、宗教を根本に、自身の信念のうえから、″よき市民″として、社会のために貢献していこうというのが、私たちの生き方です。
 そうした人格を磨くことこそ、宗教の大きな役割であると思っています。
 したがって、政治に対しても、各人が、よりよい社会の実現をめざして、個人のもつ政治観に基づき、個人の責任において行動していくのが、本来の姿といえます」
 追い打ちをかけるように、質問が続いた。
 「それならば、どうして日本では、政界に学会員を送り、さらに、公明党を結成するに至ったのでしょうか」
 「核心」を突く質問であった。
 山本伸一の回答にも、一段と力がこもった。
 「それには、幾つかの日本独自の理由があります。
 その一つが、日本の再軍備という問題でした。
 日本は、戦後、戦争放棄を掲げてスタートしましたが、アメリカの要請で警察予備隊を新設し、それが保安隊となり、一九五四年(昭和二十九年)には自衛隊が発足しました。
 国をどう守るかということは、極めて大事な問題ですが、この急速な再軍備の流れを、私の恩師である戸田第二代会長は深く憂慮していました。
 かつて日本は、アジアを侵略したにもかかわらず、本当の意味での、反省もない。それで軍備に力を入れればどうなるのか。軍事大国化し、間違った方向に進みはしないか――という懸念でした。
 また、戸田会長は、東西の冷戦のなかで深刻化する核の脅威に対し、日本は世界でただ一つの被爆国として、反核を訴え、世界平和の発信国となる責任があると考えておりました。
 そして、日本が、そうなっていくには、戸田会長が提唱していた地球民族主義、つまり、地球共同体という人類意識に立った政治家の存在が不可欠であると、痛感されていました。
 しかし、日本の政界には、東西冷戦の対立の構図が、そのまま持ち込まれていたんです。
 各政党の政策も、政治家たちの主張も、イデオロギー色が濃厚であり、人類意識、真実の平和主義に立脚した政治家はいませんでした」
 ジャーナリストは、目を輝かせ、盛んにペンを走らせていた。
 「また、当時、日本には、大企業やその経営者を擁護する政党や、大企業で働く組織労働者のための政党はあっても、町工場や小さな商店で働く、未組織労働者を守ろうとする政党はありませんでした。
 しかし、その人たちこそ、人数も多く、苦しい生活を強いられている。
 私たちは、そこに政治の光を送り、政治を民衆の手に取り戻さなければ、真実の社会の繁栄は、永久になくなってしまうだろうと考えました。
 そこで、戸田先生は、一九五五年(同三十年)の地方議会の選挙に、弟子の代表を候補者として立て、政界に送ることを提案されました。
 さらに、翌年には、協議のうえ、参議院に代表を送ることになったんです。
 それが、大多数の会員の強い要望でもありました」
 山本伸一は、さらに言葉をついだ。
 「当初、当選した学会員の議員は、特定の政党には属さず、無所属の議員として活動をしてきました。
 しかし、日本の政党政治という現実のなかで、民衆の声を政治に反映していくためには、無所属では十分に力が発揮できないとの意見が、議員たちから出てきました。
 また、政治団体を結成すべきだという強い世論もあって、公明政治連盟をつくり、やがて、公明党を結成することになったんです」
 ジャーナリストは、確認するように尋ねた。
 「日本での政党結成の経緯はわかりました。さきほどの質問と重なりますが、もう一度お伺いします。今回のブラジル訪問は、政党結成の準備のためではないのですね」
 「もちろんです!」
 伸一は、どの質問にも、懇切丁寧に、また、率直に答えていった。一時間半ほど取材に応じているうちに、ジャーナリストは、伸一の発言に、賛同の笑顔を見せるようになった。
 別れ際に、ジャーナリストは言った。「あなたのお考えも、創価学会の主張も、よくわかりました。どうやら、私は学会に対して、勘違いをしていたようです。今日、あなたにお会いできて、本当によかった」
 このインタビューをまとめたリポートは、その後、しばらくして、ブラジルの有力週刊誌に、「山本氏の晴れ渡った世界」と題して掲載された。それは、創価学会をファシズムなどと危険視する批判の検証というかたちをとっており、極めて客観的なリポートになっていた。そして、伸一の主張も的確にまとめられ、学会の真実に迫るものとなった。
 真実は、語らなければわからない。沈黙していれば誤解や偏見のままで終わってしまう。それは、結果的に誤りを容認し、肯定することになる。
 インタビューを終えた伸一は、リオデジャネイロのメンバーの案内で、市内の視察に出かけた。リオは、サンパウロにつぐ、ブラジル第二の都市であり、一八二二年のブラジル独立から、一九六〇年のブラジリア遷都まで、首都として栄えてきた。
 一行は、市内が一望できる、コルコバードの丘に車を走らせた。曲がりくねった坂道を上り、駐車場で車を降りると、徒歩で丘の頂にある展望台に向かった。

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