世襲政治屋を跋扈させる日本人の奴隷根性とは

たまたま見つけたこのツイートにレスをつけた(正確には引用rtだが)。

このきわめてまっとうなツイートにもクソリプがたくさんぶら下がってる。奴隷は自分が奴隷であることを、いつしか忘れてしまうモノらしい。特定政党への投票を強要されている某宗教団体の会員とかな…

ある意味、考えなくていいから、ラクなんだよな。奴隷であり続けることって。人間は考え続けることが苦手な人ってたくさんいることを知った。あたしはそうではない。考えて自分なりの答えを出さないと夜も眠れないほど不安だし、落ち着かないのだ。絶対に納得いかない。

学校の制服とか髪型とかはどうでもよかったが、政治についてはどうでもいいなんて言えない。この国の行く末を決めることができるのに、知らんぷりをしてる人があまりにも多すぎることに、どうしていいかわからないほど困惑している。民主主義を負け取った国の情けない姿。

今日の夕飯時、居間に積んである古い聖教新聞をひょいと手に取って読み始めたら、大好きな大空小学校の初代校長、木村先生のロングインタビューが載ってて、跳び上がらんばかりに喜んだ。「自分の考えを持つ力」、大事ですよね。だからあたしはMT車に乗ってるんです!笑

あと「人を大切にする力」。多様性! 創価学会員だからって公明党を応援しなきゃいけないとか、おかしいですよね! 自分の考えを持つ人を、いまの創価学会の組織はシャットアウトしてる。池田先生は『法華経の智慧』の中で繰り返しおっしゃってる。宗教はとかく人を鋳型に押し込もうとする傾向がある。正しい宗教は、正しい指導者は、その動きと永遠に戦っていかなくてはならないって。あたしは師匠の根本の教えに忠実であろうとしてるだけなんだ。早くみんな気がついてほしい。お題目を上げてさえいればいい、学会活動をしてればいい、とにかく公明党を応援してればいい、そういうマンネリズムからは本当の法華経の智慧は引き出せないよ。 お願いだから、早く気がついてほしい。 “池田先生が作った党だから”みたいにただ盲目的に公明党を応援してるだけだと功徳なんてほとんどないと思う。

去年、30年ぶりに会った創価学会の学生部時代の先輩に、創価学会は学会員に対する公明党支援の強要をやめるべきだと話したら「池田先生は絶対だろ」と名文句を残した。元旦、その先輩から「毎日祈ってます」と書かれた年賀状が届いた。祈るのであればひとつの教団の会員が同じ政党を支援しなければならない状況を変えるように祈ってくれ。

公明党を信じ切って全力で応援してたときは気がつかなかったけど、やっぱり創価学会員全員に公明党支持を強要するのは、どう考えても無理があるよ。辺野古の基地にしたって、防衛費の倍増にしたって、賛成反対いろんな意見があるでしょ。それを同じ宗教を信じてるからってこの党を応援しろって、無理だって。だから池田先生は、建て前かもしれないけど、学会員の政党支持は自由、と明確におっしゃったわけだし。けどそれも有名無実化してるわけで。こないだひさしぶりに会って話をした車の修理工場をやってる三浦さんも、政治の世界は妥協が付きものだからバーターとかもあって、それは仕方がない、と訳知り顔で話してたけど、それを是とする人と、さすがにそれは認められないという人がいて然るべきでしょ。それを強要するからおかしなことになるのであって。「善意」というのは強要した瞬間に善意じゃなくなるんだよ。考えてくれよ。

どうしてこんな当たり前のことが通らないんだろう。こんな言葉は使いたくないけど、欺瞞とか洗脳とか、そういう強い言葉を使いたくもなるよ。

ハッキリいうけど、日本の創価学会が衰退の一途を辿ってるのって、公明党という政党を持ち、それが連立与党で暴れまわってるからだと思うよ。そろそろ関係を正常化しましょうよ。応援したい人はする、他党を支援したい人はそれでよし、と。公明党に魅力があれば、それでも生き残っていくでしょ。

今日、何年かぶりに会った高校以来の大親友の萩生田くんにも話したんだけど、学会員の公明支援は学童保育みたいなモノであるべきなんだよ。両親が共稼ぎで、家に帰っても誰もいないという低学年の児童とかは、夕方まで安全な場所で過ごして帰る。あるいは幼稚園とかの放課後にやってるスポーツ教室とか。そんな感じ。言い方悪いかもしれないけど、やりたい人はやる。公明党の政策に納得した人は応援する。ちょっとあたしはいいや、という人には無理強いしない。このくらいの距離感がいいと思うんだよな。そうじゃないかな。僕の言ってることは間違ってますでしょうか。

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